人気の老舗「中華の永楽」、岩槻駅近くで人気 味つないだ家族物語、大勢のファン来店 幻の岩槻ネギ必見

創業以来、人気を誇るイカフライとオムライスに、中華ならではの塩焼きそば。冬場は岩槻ネギを使ったメニューが登場する

 岩槻駅西口近くの交差点に立つ存在感ある看板が目印の「中華の永楽」。「創業70年」とあるが、当初から数えれば今年で94年を迎える。地元人気の老舗で、洋食屋時代の名残を伝える名物のイカフライやオムライスに加え、近年は中華の塩焼きそばに伝統野菜の岩槻ネギを使ったメニューも提供(冬場のみ)。市外からも大勢のファンが訪れる。

 始まりは1928(昭和3)年、浅草出身の篠永秀男さんが浅草で開業。当時は「永楽食堂」として洋食が中心だった。秀男さんは料理人を志して浅草業平橋の洋食店で修行。その時に出会った照子さんと結婚した。ハンバーグなどのほか、丼ものやラーメンも出し人気店へ。しかし、45(同20)年の東京大空襲で住居兼店舗を失った。

 親戚のつてで岩槻に移り住み、その後、営業を再開。6坪程度の小さな店だった。しかし、60年ほど前、調理中の事故で秀男さんと照子さんは一酸化炭素中毒になり、2人とも入院。急きょ2代目として一郎さん(77)が学校を中退し、店を継ぐことになった。「高校1年生、16歳の時だった。とにかくがむしゃらに働いた」と一郎さん。小学生のころから店を手伝っていたので、継ぐことは当然だと考えていたという。

 「大みそか、年越しの食事に来たお客から、ラーメン1杯が30円だった時に100円のご祝儀を頂いた」と当時を懐かしむ。人気とともに店も拡充し、83(同58)年には200人の宴会ができるほどになった。その時に店名を「中華の永楽」とした。

 現在、店を切り盛りするのは3代目の育弘さん(50)。父、一郎さんの姿を見て育ち、高校卒業後は料理の道に進もうと決めていた。継ぐことは頭の片隅にあったものの、まだ先と思っていた94(平成6)年、調理の専門学校を出て都内のイタリアンで働いていた時、一郎さんが出前中、交通事故に遭遇した。過労で大病を患うこともあり、育弘さんは「自分がしっかり継がなければ」と決意したという。

 「飲食の自営業は休みを取るのが難しいなど大変なことはあるが、頑張って働いている姿を家族に見せることができるのは良いことだと思っている」と育弘さん。小学生の子どももその姿を見ている。味やメニューの豊富さとともに同店の特徴は営業時間。コロナ禍の今は午前0時までとしているが、従業員を2交代制にして午前11時から翌朝5時までの営業を実現。遅くまで働く人や飲んだ後の締めの食事で深夜までにぎわう。

 伝統の味と店の雰囲気を継承しつつ、新しい取り組みにも挑戦。その一つが地元の伝統野菜を使った「岩槻ネギの塩焼きそば」。岩槻ネギは、甘さと柔らかさが特徴だが、葉が折れやすく大量陳列に向かないため生産者が減り幻のネギとなっていた。生産を続ける農家と知り合い、地産地消や町おこしのために開発。B級グルメブームが火付け役となり、現在も旬の10月以降は人気メニューとなっている。「このまちに根付けたことは幸せ。岩槻にはよいものが多くあるので、若い世代に好きになってもらえるよう発信していきたい」と育弘さんは語った。

 【メモ】埼玉県さいたま市岩槻区西町1の4の7。電話048.756.2498。午前11時~翌午前5時。※現在は午前零時まで。定休日なし。

交差点のシンボルとなっている看板。キャラクターのモチーフは若い頃の育弘さん
元気に店に出ている一郎さん(左)と3代目の育弘さん。けんかばかりしてると笑い合う

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