桜満開の時に

 似たような思いで、ふわりとしたピンクの花びらを見上げる人もいるだろう。詩人の茨木(いばらぎ)のり子さんに「さくら」という一編がある。〈ことしも生きて/さくらを見ています/ひとは生涯に/何回ぐらいさくらを見るのかしら〉▲春が来るたび、花の景色を見るのは最後かもな、と思う-と、老いた身内のつぶやきを聞くことがある。柔らかな花々に心を休める人、春の訪れに胸が弾む人、見られるのはあと何回だろうと物思いにふける人。桜を見て湧く思いは、人によりけりだろう▲春の色で新聞を染めようと、きょうの紙面は「さくら版」でお届けする。ここ3年は自粛ムードで「せめて紙上の花見を」と願ってきたが、今年の花見はまずもって紙面で、週末はできればお出かけして、どうかお楽しみを▲茨木さんの詩はこう続く。〈あでやかとも妖(あや)しとも不気味とも/捉(とら)えかねる花のいろ〉…。花の様子もまた、人により、時によって見え方が違うのだろう▲花満開のこの季節は、別れと出会いが交差する。きょうを境に年度が変わり、仕事場を去る人がいて、新天地に移る人がいて、新生活が始まる人もいる▲桜の色はさて、どう映るだろう。人々がこんなにもピンクの花に見入るのは、人生の節目をほのかに彩るからなのかと、季節が巡るたびにそう思う。(徹)

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