『作品の力』時代を超える先見性 心揺さぶる「許しの文学」<遠藤周作生誕100年⑤・完>

父・遠藤周作について語る龍之介さん=東京・台場のフジテレビ

 遠藤周作はその作品の数々で、弱い者、苦しむ者に温かなまなざしを注いだ。長崎を舞台にした代表作「沈黙」(1966年)。踏み絵に足をかける主人公の司祭に銅板の中のキリストは言う。「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている」-。発表当時、遠藤が描いた許す神の姿を批評家・江藤淳はこう評した。「著しく女性化されたキリスト、ほとんど日本の母親のような存在に見える」(新潮文庫「文豪ナビ 遠藤周作」より)
 司祭が棄教するという物語は発表当時、キリスト教会から強い非難を受けた。しかし、遠藤の弟子で作家の加藤宗哉さん(77)は「沈黙」に描かれた「母なるキリスト」の姿に先見性を見いだす。「遠藤文学の根本は母親が子どもに対するような許しの姿勢。自己責任が叫ばれる“許されない時代”だからこそ、21世紀もその先においても、必要とされるまなざしではないか」
 西洋文化を日本的感性で消化し、独自のキリスト教文学を確立した遠藤。その作品は多数の言語に翻訳され、世界に読者を増やしている。「遠藤文学の世界は『沈黙』から始まった。それを生んだのが長崎。生誕100年を機にもう一度、なぜ長崎に文学館があるのかを考えてみてほしい」。加藤さんはこう願う。
 遠藤の長男龍之介さん(66)=フジテレビ副会長=の話からも、遠藤の先見性をうかがうことができる。遠藤は最後の純文学作品「深い河」(93年)の完成後に体調が悪化し、96年この世を去った。龍之介さんは遠藤が「体調が許せば、最後に『ヨブ記』を書きたいと言っていた」と振り返る。
 旧約聖書の「ヨブ記」は、懸命に生きる正しい人がつらい目に遭う「義人の苦難」を扱う。「ウクライナ(へのロシア侵攻)や災害、核-。善良に生きている人が何の理由もなく奪われ、そして奪われることにおびえなければならない時代。父が最後に選んだテーマは、ものすごく現代的だったのではないか」
 遠藤が龍之介さんによく語り聞かせたのは、「完全なる善も完全なる悪もほぼないに等しい」という言葉だったと言う。「物事を考える時に絶対正しいと考えるのは非常に危険だと言っていて、今でも私の一つの指針になっている。神の目線で人を裁く恐怖感をすごく持っていた。今生きていたら、どういうことを発信するのだろう」
 不朽の名作は時代を超えて人々の心を揺さぶり、社会にメッセージを発する。そんな作品の数々を世に出した作家と長崎との「縁」が今につながっている。遠藤が後世、そして長崎にのこしたものの大きさが浮かび上がってくる。


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