「原爆少女」との思い出つづる 被爆体験記を寄贈 長崎大付属中第8回生同窓会

篠﨑館長(右)に「被爆体験記Ⅱ」を手渡す相川会長=長崎市平野町、長崎原爆資料館

 長崎大教育学部付属中第8回卒業生同窓会(相川忠臣会長)が、同窓生や当時の教師らの「被爆体験記」を冊子にまとめ、長崎原爆資料館(長崎市平野町)に寄贈した。相川会長は「原爆はどんどん忘れ去られていく。まだまだ(継承のために)すべきことは多いように思う」と話している。
 1958年の同校卒業生でつくる同会は2018年、同窓生や教師ら15人の体験記を「被爆体験記Ⅰ」として編集。「Ⅰ」に対し寄せられた感想や未掲載だったものをまとめ、今年「被爆体験記Ⅱ」として製作した。新聞記事や市民団体が聞き取った被爆証言も引用して掲載している。
 第8回卒業生らの恩師、故柴田千歳さんの体験記では、柴田さんが8月9日に出会った「原爆少女」との思い出を紹介している。柴田さんは当時23歳。諫早国民学校4年男子の担任を務めていた。教室で1学期の残務整理をしていた際、頭上でさく裂したかと思うほどの爆発音を聞いた。同校は救護所として開放され、長崎市からけがをした人々が運び込まれた。
 その中に、宮崎県から女子挺身(ていしん)隊として三菱兵器の工場に動員された16才の少女もいた。少女はその日、柴田さんに全財産であろう現金60円と衣服を買うための「衣料切符」を託す。血のりで汚れた切符に、柴田さんは「肌身離さず身に着けていたのだろう」と感じ、大切に預かった。数日後「まだ預かってほしい」との願いを受け入れ、大事に保管した。
 終戦後、少女の死を知った柴田さんは、切符にあった住所などを頼りに少女の生前の様子を伝える手紙を少女の父親宛てに送付。以降、やりとりは少女の父親が亡くなるまで長く続いたという。
 柴田さんは証言の中で、「少女の願いを父上に伝えたこと、父上が死ぬまぎわまでそのことを感謝しつづけてくださったこと」が人生で一つだけ胸を張れることだと記している。
 寄贈を受けた長崎原爆資料館の篠﨑桂子館長は「どのようにして次世代に被爆体験を伝えていくか課題を抱える中、卒業生らの体験をまとめてもらいありがたい」と感謝を述べた。
 体験記ⅠとⅡは、同資料館図書室で読むことができる。

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