訪問診療、一時預かり「不十分」 募る家族の不安、医師が抱く危機感 県北・佐世保の医療的ケア児支援

 人工呼吸器の装着やたんの吸引などが日常的に必要な「医療的ケア児」とその家族を支援する法律が昨年9月に施行された。長崎県は医療的ケア児支援センターを開設してサポートを強化する。一方、県北の佐世保市では、長崎市近郊や県央と比べ、ケア児の訪問診療や一時的な預かり施設の環境整備が「不十分」との指摘が出ている。現場の医師や家族の声に耳を傾けた。

訪問診療で泰志君の体調を確認する大坪医師(左から2番目)=佐世保市内

 県北医療の中核を担う佐世保市総合医療センター(同市平瀬町)。8月16日、小児科部長の大坪善数医師(49)と看護師は軽自動車に乗って病院を出発した。行き先は市内にある浦田泰志君(9)の自宅。在宅で使う1カ月分の医療器具や加湿用水など約20キロ分の荷物を届けると、出迎えた両親は「いつも助かります」と頭を下げた。
 泰志君は2歳時に髄膜炎などを発症。脳障害で意識を失い、寝たきりとなった。自ら呼吸ができないため、喉に穴をあけ、人工呼吸器のチューブから空気を送り込む。「かっこいい服を着てるね」。看護師が優しく語りかけながら上着を脱がせ、大坪医師が体調や呼吸器の状態を確認した。
 同医療センター小児科は昨年1月、重度のケア児の訪問診療を開始。以前は家族が子どもを連れて毎月通院し、在宅で使う大量の医療器具などを持ち帰っていた。
 自宅から抱えだす子どもは成長して体重が年々増える。「家族の負担があまりに大きい」。職場で訪問診療を提案したのは大坪医師だった。
 2004年に赴任して以降、新生児集中治療室(NICU)などで命を救い、在宅医療へつなぐことが、一つの「ゴール」と信じていた。だが、退院後の診察で家族が疲弊している姿を見て衝撃を受けた。「ゴールは介護のスタートだった」。
 各家庭では日々、ケア児のたんを何度も吸引するほか、決まった時刻に栄養剤を体内へ注入する。体調に異変が生じれば医療機器のアラームが鳴り響き、慢性的な睡眠不足に陥る。気を緩めれば、命の危機を招くことになる。
 一方、県北にケア児を一時的に預ける施設は「事実上ない」。県央に施設があるが、家族は長距離の移動を強いられる。旅行はもちろん、外食すら簡単にはできない。主な世話役は母親たち。「親が子どもを育てるのは当然のこと」。そんな責任感を背負い、自らの時間を犠牲にしている。
 県北では医療的ケア児の約9割が同医療センターを受診。近年は70人程度で、このうち人工呼吸器が必要な重度のケア児が十数人いる。長崎市近郊では内科医が小児の訪問診療に協力している。しかし、県北には訪問医がいないため、結果的に同医療センターが訪問診療を担い、一時預かりを年4回に限り受け入れている。
 重度のケア児は容体が急変して亡くなる事例が少なくない。9月6日未明、泰志君は突然脈が低下。その後、敗血症で亡くなった。8月中旬には家庭内で新型コロナウイルスが拡大。泰志君への感染は防いだが、密着して介護できない時期もあった。母親(32)は「泰志を預ける場所がなく自宅で何とかするしかなかった。もっと注意深く様子をみていれば…」と後悔の念もある。

自宅で人工呼吸器を付けた娘の介護をする福島さん=佐世保市内

 子どもが大人へと成長するにつれ、家族は将来への不安も募らせていく。佐世保市の福島凜花さんは2歳で急性脳症を患い寝たきりとなり、今年20歳を迎えた。母親のめぐみさん(54)は「自分が休むのは“罪”のような感覚があり、無我夢中で介護してきた。これからは私自身が高齢で体力や健康に不安を抱えるようになる。娘の世話を続けていけるだろうか」と憂う。
 大坪医師は「多くの家族が先の見えない介護生活に疲れ切っている。安心して在宅医療が続けられるよう地域全体で取り組むべきだ」と訴える。同医療センターのような急性期病院が訪問診療や一時預かりをする状況は全国的にも珍しく、こうした支援をいつまで継続できるのかも分からない。
 介護の苦しみは、虐待や放棄(ネグレクト)といったリスクを生む。「“頑張れなくなる家族”が出てこないか。いつか限界が来るのではないか」。強い危機感を抱いている。


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