フツーの理屈

 以前も書いた覚えがあるが、裁判は、こじれにこじれて当事者間の話し合いでは決着がつかなくなった争い事が持ち込まれる場所だ。多くの場合、双方の主張にはそれなりの根拠や合理性がある▲だから、15人の裁判官が全員一致で同じ結論を出した事実はとても重い。海外で生活する日本人の有権者が、衆院選と一緒に行われる最高裁裁判官の国民審査に参加できないことの違憲性が問われた裁判で、最高裁大法廷が原告の訴えを認めた▲昨日の紙面にある「判決要旨」は例によって漢字がいっぱいで、しっかり読むのは骨が折れるが、それとは別に、裁判官の皆さんに勝手な親近感を覚えている▲最高裁の裁判官にとって、国民審査は自身の地位の正当性を支える制度だ。当事者の立場で「今のままでいいんじゃない」とか「仕方ないですよね」と言いにくいのは、考えてみれば極めて自然な感覚▲この裁判で国側は国民審査について〈選挙権と異なり、議会制民主主義の観点から不可欠の制度とは言えない〉としていた。もちろん最高裁はこの主張を一蹴した。は? なに言うてくれてるの。血相を変える様子が見える気がする▲「できない理由」を並べる消極姿勢を厳しく退け、フツーの感覚と理屈に基づいて下される判決-こんな裁判ばかりだといいのに。(智)

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