五島市富江町と黒島を結ぶ定期船が廃止 唯一の島民「ただ生まれた場所に住み続ける」

 9月30日。長崎県五島市富江町の富江港。同港と黒島を結ぶ市営定期船の待合室で、山中マサ子さん(73)は市富江支所の男性職員(51)からあらためて説明を受けていた。

市営定期航路の最後の船便で黒島に戻る山中さん=9月30日、五島市の富江港

 福江島との往来には10月から海上タクシーを利用することになること。料金は「生活航路」として市が運賃補助をするため、これまで同様、定期船の運賃(片道230円)で行き来できること…。「食事や洋服代を削りますから」。そう言って遠慮する山中さんを、「いやいや、そうじゃなくて…」と職員が苦笑しながら説明を重ねる。
 職員はかつて市営船の船長を務め、山中さんとも顔見知り。心の中では「ちゃんと行き来して、栄養のあるものを食べてほしい」と心配している。そうこうしている間に出港の時間が近づいた。約7キロ先の黒島まで片道15分。山中さんが生まれ育ち、愛猫と静かに暮らす島。

 山中さんが船に乗り込んだ。市営定期航路として最後の便。山中さんの表情はいつもと変わらない、ように見える。島に着いて船を下り、山中さんが振り返って言った。「元気でね」。乗員の女性も短く返した。「また会ったら声掛けてね」。船はゆっくりと島を離れていった。
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 五島市の富江港と黒島を結ぶ市営定期航路が9月末廃止された。利用者減による赤字が理由。唯一の島民、山中さんと黒島の物語に耳を傾けた。
 五島市富江港と黒島を結ぶ定期船は、1947年に町営(のちに市営)で運航を開始した。今年9月末で廃止される数日前、記者は黒島に渡った。
 こぢんまりとした港の近くで、山中マサ子さん(73)は愛猫と暮らしていた。ラジオを聞きながら朝食を取るのが日課。テレビは数年前に壊れて映らない。訪れた日は風がやや強く、波が岸壁に打ち寄せる音が響いていた。

黒島の集落を歩く山中さん

 山中さんが回想する。
 黒島に住み始めたのは曽祖父の代の頃。父は漁師、母は主婦で、自身は6人きょうだいの3番目として生まれた。旧富江町立富江小黒島分校では、同級生6人とドッジボールなどをして遊んだ。島で唯一テレビを持っていた人の家で大相撲中継や年末の紅白歌合戦を楽しんだ。
 60年代には約200人が居住した黒島。島民たちはまるで家族のようだった。「何か食べ物ばくれれ」。そう言って近所の人が訪ねてくると、祖母は「それば持っていき」と、庭の畑で育った野菜を持たせてやった。「和気あいあいとして良かったですよ」と山中さん。
 福江島にある富江中へは毎朝船で通学。長崎市内の専門学校を卒業した後、大阪の商店に就職した。日本文学が好きで大学の通信教育課程でも学んだ。父が病に倒れ、20歳で帰郷。その4年後、父は亡くなった。
 長崎市内の土産品店の店員だった31歳の時、会社員の男性と結婚したが、10年ほどで離婚。子どもはおらず「身軽で良かった」。50代になり、1人暮らしだった母を気遣って島に戻った。その母も2年前、長崎市内の施設で他界。100歳だった。「暇になったら長崎に来んね」。島を離れる母に言われたが、かなわなかった。

船で黒島を離れる記者に手を振る山中さん

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 自宅の仏間には山中さんの父や祖父母、戦死した叔父の遺影が飾られていた。「こういうのがあるから(引っ越すのは)後ろ髪が引かれそうになる。そう母とも話していた」。記者が遺影を見ているのに気付いたのか、山中さんはおもむろにそうつぶやいた。
 島を案内してもらった。山中さんが盆と正月に1人で掃除している神社、98年に廃校になった母校の分校跡。島には今も家屋が30軒ほど残っていた。時々、様子を確認しに来る家主もいるのだという。しばらく歩くと墓地だった。大小合わせて100基以上ありそうだ。比較的新しい造花もあった。山中さんの母は毎朝、墓参りを欠かさなかったという。
 集落を一周し、自宅近くまで戻った。少し疲れたのか、山中さんは石垣に座り込んだ。以前、肝硬変を患って手術したことがあり、今も薬を手放せない。父が建てた家は築60年。台風などで被害を受け、雨漏りもするが修理するつもりはない。「養老院の予約はしているからいいの」と山中さんは笑った。

福江島から見た黒島

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 記者は一番聞いてみたかった質問をした。「黒島に住み続ける理由は何ですか」。山中さんはしばらく考えて、こう続けた。「やっぱり年をとると、(島から)出たくない」
 「以前、島外に引っ越すおばあさんが、その日の朝になっても『出とうなか』と泣いていた。それでも娘さんたちが『また戻って来られるから』と両脇を抱えて港に連れて行った。そのおばあさんは戻って来んやった」
 山中さんは終始、先祖のこと、家族のこと、島のことをひょうひょうと語ってくれた。その横顔に悲壮感はない。でも、この島でいろんな喜びや悲しみを経験し、今の山中さんがある。「ただ生まれた場所に住み続ける」。島で、たった1人でも生き続ける理由は案外、そんなシンプルなものなのかもしれない。それはきっと、定期船が廃止されても変わらない。

 島を去る時間になった。予約していた船が島に着いた。少し波がある。揺れる船にタイミングを合わせて飛び乗った。「山中さんも船の乗り降りは大変だろうな」と思った。振り返ると、山中さんが石垣に腰掛け手を振ってくれていた。


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