戦時中の「学舎」知って 当時の看板を市民が寄贈 長崎市歴史民俗資料館

立山4丁目の梅野さん方に掛けられていた学舎の看板=長崎市平野町、市歴史民俗資料館

 戦時中の1944年ごろ、米軍による空襲が全国的に激化し、長崎市中心部の子どもたちは空襲を避けるため「学舎」と呼ばれる児童宅に集まり、勉学に励んでいたという。この春、市民から「学舎の存在を広く知ってほしい」と、現在の立山4丁目にあった学舎の看板が市歴史民俗資料館に贈られた。永松実学芸員(70)は「戦時中の暮らしを裏付けるもの。全国的にも保存数は少なく、希少価値は大きい」と話す。
 永松学芸員によると、戦況が悪化していた当時、学校で授業ができなくなると、空襲が激しい都市部を中心に個人宅を学舎として活用。巡回してくる教諭に指導を受けたり、自習をして過ごしていたという。寄贈された看板は縦59センチ、横10センチの木製で、「勝山国民学校立山北部第四戦時学舎」と記されている。
 自宅を提供していた故・梅野與七(よひち)さんの娘、齋藤節子さん=同市在住=が「一人でも多くの人に学舎の存在を知ってほしい」と寄贈を申し出た。看板は当時、梅野さん方の玄関に掛けられ、約10人の児童が集まっていたという。
 永松学芸員は「当時は市外に疎開した子どもも多く、戦争体験者でも学舎を知らない人は多い。歳月の経過とともに学舎の存在は忘れ去られつつあり、看板は教育的見地から見ても貴重」と強調する。
 看板は、市民が昨年度に寄贈した新規収蔵品約10点、端午の節句にまつわる資料などとともに開催中の企画展(6月6日まで、新型コロナウイルスの影響で5月31日まで休館)で紹介されている。無料。

© 株式会社長崎新聞社