普賢岳大火砕流から30年 祈り込めろうそく作り 島原・第三小

ろうそくに追悼の言葉や絵を描く児童=島原市立第三小

 雲仙・普賢岳噴火災害で43人が犠牲となった1991年6月3日の大火砕流から30年になるのを前に、長崎県島原、南島原両市の小中学校で追悼のろうそく作りが進められている。6月3日前後の夜、雲仙岳災害記念館(島原市平成町)で行われる追悼行事で約千本がともされる。
 地元有志や同記念館などが2007年度に始めた。昨年は新型コロナウイルスの影響で同記念館職員やボランティアらが出向いての製作指導ができず、今回2年ぶり。本年度は両市の計16校の児童生徒が製作。追悼行事「いのりの灯(ともしび)」(6月2~4日)までに約千本を完成させる。
 12日は、島原市広馬場町の市立第三小(原洋校長)の3年生約50人が牛乳パックに流し込まれたろうを水で冷やして固め、虹や山、花などの絵を思い思いに描いた。「もうふんかがおきませんように」との言葉をろうそくに添えた浦山心愛さん(8)は「お母さんから(当時の)話を聞いていたので、こう書いた。噴火は怖い」と話した。
 同記念館語り部ボランティアによる講演もあり、林京子さん(73)=同市城内3丁目=が、大火砕流発生後に渋滞する道路や、水無川流域で氾濫する土石流の様子など写真を示しながら説明。「学んだことを次の世代に話して、どうすれば命を守れるかを考えてほしい」と呼び掛けた。

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