被爆者ら「誠実な大先輩」 小崎登明さんしのぶ 修道士として生きた93年

小崎さんが晩年を過ごしたホームの祭壇前でお別れする関係者=諫早市、聖フランシスコ園

 15日に死去した長崎の被爆者でカトリック修道士の小崎登明(本名・田川幸一)さん。原爆で唯一の肉親だった母を失い、修道士として生きた93年だった。孤独と度重なる病気に苦しみながら、ポーランド出身の故コルベ神父研究や月刊「聖母の騎士」編集、被爆体験講話など幅広い功績を被爆地長崎に刻んだ。信仰に基づく人生観をブログにつづり、修道名にちなんだ「トマさん」の愛称で国内外の人に親しまれた。
 息を引き取ったのは、2月下旬の“最後の語り部”がテレビで放送された直後。被爆後、助けを求める子どもに背を向けて逃げた自身の弱さを伝えてきた活動を振り返り、「格好が良いことばかり言ってきたが、被爆直後、自分が優れているという優越感を抱いたという本当の思いを伝えたかった」。封印してきた心情を若い世代に託した。
 みとった長崎平和推進協会職員、横山理子さん(47)は「思いを伝えることにこだわった小崎さんらしい最期。大きな仕事を終えたという印象が強い」と話した。同協会継承部会でともにした被爆者の末永浩さん(85)=長崎市=は「話したくない体験まで包み隠さず語ったのは誰もができることではない。誠実な大先輩」と惜しんだ。
 16日午前、晩年の6年半を過ごした諫早市高来町の老人ホーム。入所者らが修道服姿でひつぎに入った小崎さんに別れを告げた。長崎市の修道院時代から親交のあった瀧憲志神父(89)は「『神の希望と喜びを入所者に伝えよう』と言い、書道や絵手紙、コーラスを楽しんでいた。実感が湧かないが、これから寂しくなるのだろう」としのんだ。通夜、告別式は長崎市本河内2丁目のカトリック本河内教会で関係者のみで執り行う。

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