挑戦と連携のまちへ 大久保・諫早市政始動<上> 短期決戦 変化求める声、上昇気流に

当選の報を受け、支持者と喜びを分かち合う大久保氏(中央)=3月28日、諫早市永昌町の選挙事務所

 任期満了に伴う諫早市長選は、新人で元県議の大久保潔重氏(55)が4期目を目指した現職、宮本明雄氏(72)と新人で元国土交通省職員の山村健志氏(47)の2人を破り、12年ぶりのトップ交代を果たした。選挙戦を振り返り、大久保氏が掲げた公約を軸に今後の課題を考える。
 3期12年の宮本市政に終止符を打ったのは、大久保氏の「チャレンジ精神」だった。市民の変化を求める声とともに上昇気流に乗った勝利といえる。
 2003年、県議に初当選して以来、「炎のチャレンジャー」のキャッチフレーズが浸透。国政、県政で活動する中、古里の首長への待望論が上がった。
 昨年7月。山村氏が出馬意向を明らかにした後、宮本氏に対して、4期目への出馬要請が相次いだ。大久保氏の動向が注目される中、正式に出馬表明したのは今年1月のことだった。
 政党や組織の支援はほとんどなく、自ら支援者を訪ね歩く「草の根」の活動。県議を辞職し、本格的に動きだしたのは2月中旬。短期決戦の勝負に懸ける“挑戦”だった。
 05年に合併した旧5町などの周辺部を丹念に回り、疲弊した地域を目の当たりにした。空き家、空き店舗、耕作放棄地-。運転免許証を返納しても、買い物や通院の“足”がなく困り果てている住民たち。仕事を求めて、古里を離れる若い世代。黙って受け入れるしかない人たちがいた。
 「今の市政は何もしてくれない」「もうそろそろ代わってもいいのではないか」-。そんな潜在的な声をすくい上げたのが大久保氏だった。18年に及ぶ政治経験が生きたともいえる。
 28日夜、宮本氏の選挙事務所。ケーブルテレビが「大久保氏当確」を伝えると、支援者の間に重苦しい空気が流れた。票差はわずか1547票。「『宮本はもういい』『山村は未知数』と分かれた人の受け皿になったのが大久保」「宮本票を山村が奪い、その間を大久保が抜けていった」-。支援者たちはまさかの落選に首をひねり、敗因を口にした。
 「悔いを残さない戦いをしようと思っていたが、敗れると悔いが残る」。一人一人に礼を述べた後、宮本氏はこれまで明かさなかった思いを口にした。「最初から3期12年を一区切りにしたいという思いはあった。(後任に)誰か推薦したい思いもあったが、結局、自分が出るしかないと思った」
 昨年11月に出馬表明したが、コロナ禍で後援会活動が思うようにできなかった。公務も重なり、選挙準備に専念できたのは告示1週間前だったという。09年の就任後、九州新幹線長崎ルートの暫定開業を見据えた諫早駅周辺再開発事業などの大型投資と並行して、堅実に財政運営を続けた。「市の基礎をつくったという自負がある」。宮本氏は自らの足跡をこう評した後、“4度目の挑戦”が実らなかったことをわびた。
 宮本氏が築いた「基礎」をどう発展させるか。大久保氏の挑戦が始まる。


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