<新天地>復興進むもコロナが影 春まで持たないかも

「震災前より良い町に」を合言葉に官民一体で復興に取り組んでいる南三陸町。その一員として奮闘する佐藤さん(右)=宮城県南三陸町役場(佐藤さん提供)

 2020年1月、宮城県南三陸町職員採用試験を前に、佐藤守謹(もりちか)(41)は町震災復興祈念公園へと足を運び祈りの丘に上った。町職員ら43人が犠牲になった旧町防災対策庁舎が見えた。黙とうし、心の中でつぶやいた。「町職員となって、町のために頑張ります」
 同年3月31日の赴任前夜は寝付けなかった。これまでの人生や家族総出の引っ越し、新天地への思いなどが走馬灯のように脳裏によぎった。4月1日の辞令交付式。「よく来たな」「本当に来たんだ」「違和感ないね」。同僚職員が笑顔で迎えてくれた。「商工観光課商工業立地推進係」に配属された。
 震災後、町は「職住分離政策」を進めてきた。高台には防災集団移転団地や災害公営住宅地が整備され、かさ上げされた低地部には商店街や水産加工場などが並ぶ。その産業エリアには空き区画がある。町ににぎわいを取り戻すため、新たな事業所の誘致や創業者育成に尽力すると誓った。
 志津川湾を囲むように三方に山がある南三陸町。町境と分水嶺(れい)がほぼ一致し、全域がその内側に囲まれ、森・里・海の恵みが豊かな町だ。町内に降った雨は森から里へ、そして海へと注がれる。「自分たちの町をきれいにするのも、汚すのも自分たち」。環境保全に対する町民の意識は高い。
 基幹産業の漁業や林業では、自然との共生や持続可能性に配慮した動きが出ている。一部のカキ生産者は養殖の過密状態を見直し品質や生産性を向上させた。また、環境に配慮した林業を後押しする国際認証の取得による杉のブランド化も進む。生まれ故郷の南島原市も「海」「山」に恵まれた町だ。反省を込めて言えば、南島原は恵まれた地域資源を生かし切れていないと感じる。
 南三陸町は、ハード・ソフト両面で復興が着実に進んだ。しかし、震災直前約1万7千人だった人口は約1万2千人(21年1月現在)に激減したままだ。町商工会加入の562事業者のうち473事業者が被災。249事業者が再開にこぎ着けたが、176事業者が既に廃業したという。
 追い打ちを掛けるように新型コロナウイルス禍に見舞われている。外食産業の落ち込みで、漁業者は特産のアワビやワカメの在庫を抱えた。ある民宿経営者がつぶやいた。「ボランティアなど多くの皆さんの力で再興した。だが、震災10年を前にこれからと意気込んでいたところのコロナ。春まで持たないかも」。長引くコロナ禍が、人々の心に暗い影を落としている。(文中敬称略)

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