<被災地支援> 決心 「家族一緒に」妻子後押し 元南島原市職員 佐藤守謹さん 復興への思い 家族の将来との葛藤

南三陸が育む豊穣(ほうじょう)の海。大震災と津波という惨事に遭ったが、町民は海を愛してやまない=宮城県南三陸町、志津川湾(佐藤さん提供)

 「陸上で言えば第4コーナー。一番の踏ん張りどころだけど、前を向いて走ればゴールできる」。佐藤守謹(もりちか)(41)は、復興を“仲間”に託して4年間の派遣業務を終えた。2019年4月、南島原市役所に戻った。
 「南三陸ロス」というほどでもないが、時折、南三陸町のホームページや会員制交流サイト(SNS)を閲覧していた。町役場の同僚と立ち上げた「南三陸カメラ部」の仲間も現地の写真を送ってくれた。
 そんなある日、自らが関わった「広報南さんりく12月号」で、社会人経験者の採用試験があることを知った。踏ん切りをつけたはずなのに、心が激しく揺れ動いた。「力を貸してほしい」「守謹、勉強しろよ! とにかく1次試験は受かれよ」と、南三陸町の仲間がメールで励ました。妻(45)には相談したが、家族や将来の人生設計のことは深く考えていなかった。20年1月、入庁試験を受けた。
 同年2月の2次試験を経て、合格した瞬間はうれしかった。だが、自分のやりたいことに最愛の家族を巻き込んでいいのか。悩みが一気に押し寄せた。直線で約1200キロも離れた南三陸に行くことに70代の母は猛烈に反対した。「南島原市職員として恵まれた環境の中で何が不満なのか」と問われた。孫の成長も見せられない。両親の介護はどうなるのか、最悪、みとりもできないかもしれない。「本当に親不孝な息子で申し訳ない」という気持ちになった。
 一番気になったのが、長女(16)と次女(12)のことだった。生まれ故郷を離れ、見知らぬ土地に行くことが、どんな影響を及ぼすのだろうか。娘たちにいくつかの選択肢を示した。
 高校受験を控えていた長女には▽長崎か宮城の高校に進学▽長崎で受験し途中から宮城に転校、小学5年だった次女には▽南島原の小学校を卒業し、宮城の中学に進学▽宮城の小学校に転校-などを提案したが、即座に2人から答えが返ってきた。「家族一緒に行こう」。妻も背中を押してくれた。「やらないで後悔するより、やって後悔したら」
 20年3月、宮城県であった長女の高校受験に付き添った。受験前夜、長女に声を掛けた。「宮城の高校で良かったの?」。長女が笑った。「私、宮城の高校のこと調べていたのよ」。家族が進むべき道が宮城で本当に良かったのか。ずっと悩んでいた。娘が気遣ってくれたかどうかは分からない。それでも、そのひと言がうれしかった。進むべき道は間違っていないと感じた。  (文中敬称略)

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