自己ベストを追い求めて 身体障害者水泳・間ノ瀬俊輔 “原点”で指導と競技を両立 S10クラス背泳ぎ50、100メートル日本記録保持者

慣れ親しんだプールで指導をしながら自らを磨く間ノ瀬=長崎市、東長崎スイミングスクール

 6レーンの25メートルプール。子どものころ「スポーツをやる楽しさ」を教えてもらった恩ある場所で、義足のトップスイマーは再始動した。間ノ瀬俊輔は今、子どもや高齢者の指導をしながら、日本記録となる自己ベストを追い求めて練習を続けている。
 喜々津小1年の終わりごろ、交通事故で右膝下を切断。約半年間の入院とリハビリを経て、義足の生活が始まった。「うまく走れないし、サッカーもボールを蹴ると義足が飛んでいく」。体育の授業は大好きだったが、思い切り体を動かせない自分が、悲しかった。
 転機は東長崎スイミングスクールに入会した小学4年時。週2、3回の水泳は「とにかく楽しかった」。義足を外せること、何より、水中は友達と同じように動き回れる。プールは「自由になれる場所」だった。
 喜々津中進学後はレベルの高い選手コースに入った。毎日のようにプールに通い、松尾慶輔コーチに指導を受けた。「水の流れに乗るうまさ」(松尾コーチ)を伸ばしていった。
 その後は仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)しながら急成長。中学1年の秋に日本身体障害者大会に初出場すると、下肢障害者が競うL5クラスの50メートル、100メートル自由形で優勝を飾った。創成館高進学後も成長は止まらず、2年時に東京アジアユースパラゲームズで5個の金メダルを手にした。
 以降、自己ベストを出せない時期もあったが、自らの泳ぎを見つめ直しながら徐々に復調。高校3年の冬、広州アジアパラ大会のS10クラス背泳ぎ100メートルで、当時のアジア新となる1分9秒30をマークした。この記録は今も日本記録として残っている。
 進学した西九州短大でも努力を惜しまずに結果を出し続け、卒業後は障害者水泳チームがある宮崎のフェニックスリゾート社に就職。約5年間、仕事と水泳と両立させた後の2018年春、祖父の体調不良などもあり、退職して約7年ぶりに長崎に戻った。
 帰郷してから約2カ月後、松尾コーチに誘われて原点であるスイミングスクールに“復帰”した。指導の難しさを痛感しながら、また、自らを鍛えた。結果、19年秋の日本パラ選手権S10クラス50メートル背泳ぎで、二つ目の日本記録を樹立した。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、その後の大会がほとんど中止となったため、約1年半ぶりの実戦の舞台は5月のジャパンパラ大会となる。東京パラの選手選考も兼ねた大事なレースだ。自らの原点から世界を見据える28歳は「ベストを尽くす」と静かに燃えている。

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