壱岐 B29墜落、死亡した米兵を追悼する石碑 来年は慰霊祭ができるように

「米軍戦士の墓跡」の石碑に向かって敬礼する牧本さん=壱岐市郷ノ浦町

 1944年8月、日本軍との空中戦で墜落し死亡した米軍B29爆撃機の搭乗員を追悼する石碑が、壱岐市郷ノ浦町にある。当時の様子について幼いころから父親に聞いてきた、近くの農業、牧本行秀さん(64)がこのほど石碑を訪れて米軍兵士を悼み、戦争の歴史継承へ思いを新たにした。
 「目で見る壱岐の100年」(郷土出版社)などによると、44年8月20日午後5時ごろ、北九州市の八幡製鉄所爆撃に参加したB29のうち1機が、日本軍との空中戦で現在の壱岐市郷ノ浦町初山地区に墜落。搭乗員が死亡するなどした。
 住民らが遺体を近くに埋葬した後、46年、米軍が本国に遺骨を持ち帰ったという。付近には2010年に地元有志が建立した「米軍戦士の墓跡」の石碑がひっそりとある。
 牧本さんは墜落から76年の8月20日、石碑の前で敬礼、犠牲となった米軍兵士を悼んだ。市内の戦争遺跡などについて調べている団体職員、立山淳さん(53)に石碑の場所を聞かれ、父親の行隆さん(89)から聞いてきた歴史の一こまの記憶がよみがえったのが石碑を訪ねたきっかけだった。
 行隆さんによると、その日、墜落するB29を目撃して現場に直行。大破した機体を目の当たりにしたという。牧本さんは「乗員は11人。3人が溺死や墜落の衝撃で死亡し、地元の人により手厚く埋葬され、残りの8人は捕虜として連行されたと聞いている」と話す。
 石碑は近年放置され、周辺には草木が生い茂っていたため、牧本さんは慰霊を前に付近を除草。「戦争の記憶を、父から引き継いで語っていかなければならない。来年は慰霊祭ができるようにしたい」と語った。

 


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