『私の学生生活』 川辺れい子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 昭和17年、期待に満ちて福岡県の小倉高等女学校に入学した。入学時はセーラー服だったが、しばらくすると母親の着物をほどいて縫った、もんぺでの通学となった。
 戦争は激しさを増し、4年生になると毎朝、学校ではなく小倉城のお堀のそばに整列。歩調を整えて陸軍造兵廠(しょう)の門をくぐり、旋盤を使って弾丸を削る作業に従事した。
 工員さんは工場内に数人しかおらず、私たちは昼夜を問わず勤務し工員さんと変わらぬ生活を送った。家の中にいても教科書をめくる余裕もなかった。
 やがて卒業式の日が訪れ、私たちは久しぶりに登校した。校長先生が教育勅語の朗読を始めて間もなく空襲警報のサイレンが…。運動場に掘った穴蔵に逃げ込んだが、夕方になっても警報は解除にならず帰途についた。学校の門を出入りしたのは、その日が最後だった。
 戦後、私たちが卒業証書を受け取っていないことに、その時に着任していた校長先生が気付き、手配をしてくれた。何十年もたってからようやく、卒業証書の筒を手にした。それをしみじみと眺める私たちは、中年のおばさんになっていた。
(平戸市・無職・91歳)

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