『戦争が終わって』 都野弥生さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 戦争が終わったのは、国民学校3年の夏だった。ラジオもなかったので、かの有名な天皇のお声も耳にしていない。昭和19年に東京から徳島の祖父母の元に疎開し、大空襲を免れた。広島、長崎の人々の惨状も体験していない。母に守られ、死ぬ目に遭うこともなかった。
 徳島の学校で、昭和20年4月に担任になられた女性の先生は「強い少国民になるように」と、冷水摩擦を奨励した。私は戦争が終わっても、ずっと続けていた。
 4年になって配られた教科書は、新聞紙のようなものが2、3枚。自分ではさみを入れて切り離し、ひもでとじていく。「フランス綴(つづ)り」というらしい。読めない字をとばすと、1日で読み終わった。
 できることは手伝いだ。男手のない村では、4年にもなると一人前の働き手だった。年の近いいとこたちと田植え、稲刈りをし、まきを運んだ。高学年になると、祖父が焼く炭の俵を山から背負って下った。50銭か1円か、お小遣いをもらって喜んだ。
 どんなときも先頭に立った祖父、牛の餌を大鍋で炊いていた祖母。日本の不幸な時代ではあったが、初めての地で祖父母と暮らせた幸せな時間だった。
 (長崎市・無職・83歳)

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