『義母の一生』 藤尾美代子さん

 義母の藤尾ヨヲは大正6(1917)年、旧北高深海村(現在の諫早市)に出生。昭和12(37)年、20歳の時、大阪府巡査だった同村出身の義父に嫁いだ。駐在所勤務の時には受け持ち住民の世話をするなど、積極的に助けた。
 昭和16年12月太平洋戦争が勃発。18年10月ついに義父に赤紙がきた。佐世保海兵団に入営。義母は3人の子どもを連れて義父の実家に帰った。老いた両親と子どもを抱え、慣れない畑仕事や食糧の買い出しに励み、義父の無事を祈った。
 昭和20年8月9日午前11時2分、台所で青白い閃光(せんこう)を浴びた。長崎に原爆が落とされた瞬間であった。8月15日終戦。天皇陛下の玉音放送を聞いた。出征した義父の帰りを待ったが、消息は一向に分からなかった。
 ある日知人から占いの「こっくりさん」の話を聞き、義父の安否を尋ねてみた。「近いうちに帰る」とお告げがあった。それから3カ月後の昭和21年6月、義父は南方スマトラ島から無事に復員した。府警に復職し、一家は大阪に戻った。
 義母は8人の子を育て上げ、戦後の荒海を乗り越えた。義父は平成21(2009)年98歳で、義母は平成30年に100歳で天寿を全うして亡くなった。
 (諫早市・主婦・82歳)

© 株式会社長崎新聞社