『9歳の心は傷ついた』 浜崎典子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 原爆の時、私は鹿町(現在の佐世保市)に住んでいたので原爆を直接体験したことはありません。それでも、当時9歳だった私は大人の話を耳にしたとき、恐怖におびえたのを覚えています。子どもの耳は地獄耳です。恐ろしい爆弾であることを想像しました。
 あの頃の私たちは、何でも我慢を強いられました。一に兵隊さんのため、二にお国のため、それが当たり前でした。戦争なんて終わればいいのになどと言おうものなら、「非国民」ととがめられ、「絶対言っちゃいかん」とひどく叱られたものでした。
 当時、私の家族は両親と兄、姉2人の親子6人。伯父たち親子3人が、先の大阪空襲で焼け出されて身を寄せていたので、9人での生活でした。食料などは配給制で、足りない分は、自分たちで求めて補う毎日。農家の人に拝むようにして着物などと食べ物を交換してもらっていた母の姿は、今も忘れられません。いつも空腹で、白いご飯に梅干しを乗せて満腹になるまで食べることが夢でした。
 小さな努力をして私たちも戦いました。艦隊が来たら日本は勝つよ、と…。大人たちの話もデマでした。子ども心に焼きついていて忘れられない記憶です。
(平戸市・無職・84歳)

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