『歯を食いしばって』 松島紀美子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 父は日本の軍人、軍属で私は台湾で生まれ育った。
 日中戦争は尋常小学校の頃、勃発した。米麦は配給制で量が減り飢餓時代。野草も食料にした。トウモロコシ、大豆、コーリャンは油脂を搾ったかすまで配給だった。召集令状が来た町内の若い男性は、死を覚悟し万歳の声に送られ出立。家族の心中いかばかりか。
 佐世保の成徳高等女学校時代は、佐世保鎮守府の工場へ勤労奉仕。太平洋戦争に突入すると校内、町内で防空訓練があった。みそ、しょうゆ、あらゆる製品が店から消えた。だから、近所のおばさんから洗濯で使う「花王石鹼(せっけん)」をもらったときはうれしかった。
 昭和19年2月4日、担任はこうおっしゃった。「男子学生は命を盾に戦場へ赴いております。あなた方も国のため働いてください。学生生活今日で終了です」
 翌日から佐世保鎮守府軍需部に勤務。さらに両親らがいる台湾への転勤命令が出て、輸送船で佐世保を出港。潜水艦の攻撃を受けたが奇跡的に逃れた。高雄の軍需部に配属されたが連日空襲。終戦後は両親、妹と一緒に引き揚げて南島原の堂崎村へ。お国のために働いたのに住む家も何もなく哀れさを感じたけれど、歯を食いしばって頑張った。
(長崎市・主婦・92歳)

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