『母は強かった』 谷千代子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 私たちは双子でその下に妹、弟2人の5人きょうだいです。父は船乗りで海上生活が長く、母は一人で子育てを頑張りました。小学校に入った時には戦争が始まっていて、集団登校でした。学校に着くなり空襲警報が鳴り、かばんも下ろさず下校する毎日です。
 家が三菱造船に近いという理由で突然、10日以内に避難せよ、家は壊すと国の命令が出ました。子ども5人を連れると荷物どころではありません。母はどんな気持ちだったでしょう。
 汽車に乗り、船に乗り、また汽車に乗り換えるなどして徳島の祖父母の里に避難しました。それからは語り尽くせない大変な日々を過ごしました。登校しても桑の木の皮むき、防空壕(ごう)に入る練習ばかりでした。
 終戦を知った時はうれしくて、道端の小川に洋服のまま飛び込みました。帰るはずの長崎は原爆で焼け野原と聞き、子ども心に戦争は二度と起こしてはいけないと深く受け止めました。
 しばらくして長崎に帰って来たものの家は無く、2階建て一軒家に3所帯の共同生活です。言葉では言い尽くせない苦労を親たちはしたでしょう。体が丈夫なら何とかなると気丈だった母は、その後戦争のことは語らず59歳で逝きました。
(長崎市・無職・84歳)

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