叔母を思い 絵と文で表現 被爆2世・出口さん絵本制作 「ヒロコねえちゃんのねがい」 樺島町・タイピント画廊で原画展示

「ヒロコねえちゃんのねがい」を制作した出口さん=長崎市、タイピント画廊

 被爆2世の会社員、出口順二さん(56)=長崎市かき道4丁目=が胎内被爆者の叔母、池田裕子さん(旧姓出口・2008年に63歳で死去)を題材にした絵本「ヒロコねえちゃんのねがい」を制作。同市樺島町のタイピント画廊で15日まで開かれている「タイピント画廊平和展」に原画を展示している。

 裕子さんの母キンさんは妊娠4カ月の時に被爆。胎内被爆児となった裕子さんは貧血や突然けいれんを起こして倒れる病に苦しみ、義務教育すら受けられなかったという。
 出口さんの父で、裕子さんの3番目の兄に当たる輝夫さん(11年に75歳で死去)は、爆心地から1.4キロの本原町1丁目(当時)で被爆。子どものころ、裕子さんがストレスからきょうだいに当たっていると「裕子が悪いんじゃない。原爆が悪いんだ」と言っていさめていたという。
 絵本では、裕子さんの人生を絵と文で表現した。最後のページで「ヒロコねえちゃんは原子爆弾が落とした黒い影とずっと闘いつづけたのです」と紹介。登場する巨大なきのこ雲、それを断ち切るような虹、その前に立つ裕子さんを描いた原画を平和展会場に展示している。「裕子さんは自分の努力で幸せを手に入れたことを表現した」と出口さん。
 裕子さんの次兄、聰夫さんが原爆症により12歳で亡くなる前、「おかあさん、ぼくはしぬと? なんもしてないのに なんでしぬと?」と尋ねたエピソードも紹介。現在、語り部活動をしている裕子さんの姉、山川富佐子さん(78)から聞いたもので、戦争責任を負うべきでない子どもたちが原爆の被害を受けることの理不尽さ、悔しさ、悲しさを表わしていて心に響いたという。
 絵本は手製本、A5判32ページ。1500円。タイピント画廊で販売している。

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