コロナ禍で活動休止 被爆者合唱団員「寂しい」 式典不参加「早く歌いたいが…」

平和への思いを込めて「もう二度と」を歌う大平さん=長崎市の自宅

 歌を通して世界平和と核兵器廃絶を訴える、長崎市の被爆者合唱団「ひまわり」が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で活動を休止している。毎年8月9日の長崎原爆の日の平和祈念式典で披露してきたが、今年は感染防止のため参加を断念した。週1回の練習も4カ月以上できずにいる。「寂しい」「もう声が出なくなるかも」。団員から悲痛な声が上がる。
 聞こえていますか 被爆者の声が-。24日午後、メンバーの大平八千代さん(74)は声を震わせながら、同市小ケ倉町2丁目の自宅の庭で一人、歌を口ずさんでいた。曲目は「もう二度と」。ひまわりのオリジナルソングだ。「一番思い入れがある曲。早くみんなと会って歌いたい。でも-」。レッスンがない期間が続き、歌詞は今まで通り出てこなくなり、声も出しにくくなっていた。「思い通り歌えないのはつらい」。もどかしさが募った。
 ひまわりは2004年、長崎市在住の音楽家、寺井一通さん(71)の呼び掛けで発足した。当初12人だった団員は、被爆70年の15年に最多の約60人に増えたが、高齢化や体調不良に伴い今は約30人となっている。平均年齢は81歳超。「(5年後の)被爆80年を迎えられるのだろうか」。多くの団員が今年の被爆75年に懸ける思いを強めていた。
 だが、コロナ流行を受け3月上旬から週1回の練習は中止に。8月9日の平和祈念式典への不参加も決まった。代わりに同日中に平和公園に集まるだけでもできないかと提案もあるが、感染防止のため打ち合わせの会議は開けない。「事態が収まるのを待つしかない状態だ」(寺井さん)。
 そんな状況に団員からは悲痛な声が漏れる。田崎禎子会長(79)は「歌を通して『平和への思いが伝わっている』と感じながら生きてきた。活動できず、本当に残念で寂しい」と語る。
 「ひまわりは生活の一部」。こう語るのは、ひまわり設立当初から活動を続ける田川照子さん(95)。被爆当時20歳で、同級生が大やけどを負った姿を目の当たりにした。「今でも歌う度に、あの時の光景を思い浮かべて胸が詰まる」。それでも、二度と戦争は繰り返さないという思いで歌い続けてきた。「体が言うことを聞く限り、歌いたい。早く当たり前の生活に戻ってほしい」と願う。

 


© 株式会社長崎新聞社