佐世保空襲 死没者追悼式 遺族ら惨劇に思いはせ

祭壇に花を手向け、犠牲者を悼む参列者=佐世保市、市民文化ホール

 1200人以上が犠牲になった佐世保空襲の死没者追悼式が29日、佐世保市平瀬町の市民文化ホールで開かれた。今年は新型コロナウイルス感染防止のため規模を縮小して開催し、遺族ら12人が参列。それぞれが75年前の惨劇に思いをはせ、犠牲者を悼んだ。
 市によると、1945年6月28日から翌29日にかけて、米軍機が佐世保市街地を攻撃。全戸数の約35%にあたる約1万2千戸が全焼し、一夜にして焼け野原となった。市が公表する犠牲者数は1242人。被災者は約6万人に上る。
 追悼式は、市が主催。85年に佐世保空襲犠牲者遺族会(臼井寛会長)から引き継いだ。新型コロナの影響で、市立祇園小児童による千羽鶴の贈呈や祇園中生徒の作文発表などは取りやめた。
 午前10時のサイレンに合わせて黙とう。朝長則男市長は「今日の平和で安定した社会は、空襲や戦争で犠牲になった人が礎になっていることを忘れてはならない」とあいさつ。遺族代表の臼井会長は「遺族の高齢化で会員の減少は避けられないが、二度と戦争を起こさないように活動を続けたい」と決意を新たにした。
 参列者はそれぞれの思いを胸に祭壇に花を手向けた。遺族会の横尾寛敏副会長(78)=椎木町=は3歳で空襲を体験。自身と生後半年の弟を抱えて逃げた母親に焼夷弾の破片が直撃し、1人だけ生き残った。「苦労はしたが『健康にやっている』と伝えたい。平和に生きるのが望み」と祭壇を見つめた。
 消防団長だった祖父を亡くした山口廣光さん(81)=黒髪町=は「毎日生活できることがどんなに幸せなことか。戦争だけはしてはいけない」と強調。佐世保空襲を語り継ぐ会代表の早稲田矩子さん(77)は「後世に同じ体験をさせないためにも、これからも伝え続けなければならない」と話した。

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