<文化とコロナ>文芸評論家・作家 陣野俊史さん(58)インタビュー 文学の力で何ができるか 内側の風景を探り当てる

陣野俊史さん(本人提供)

 文学に関してコロナの影響はあるかといわれると、私についていえば、創作以外の部分では特に感じていない。出版社がテレワークになっているので、原稿はネット上のやりとりになっている。この間に手掛けたのは主に短い書評などで、ネットで十分だった。
 創作についてはコロナの影響はあった。今年の3月くらいから書き始めた小説は、病気で幽閉されていた詩人の話(諫早市出身の詩人、伊東静雄がモデル)。当初コロナは全く意識していなかったが、書いていく中で、考え方も、何を書くべきかということについても、大きく変わるという経験をした。
 書き始めたときは、詩人の評伝のスタイルを借りながら、終戦時のエピソードを軸に、国家と戦争の話を書こうと思っていた。しかし途中から、結核になった詩人が、病院から出られないという生活を送る中で何を考えていたのか、という方に重点が移った。体がある場所に拘束され、自分が好きな場所に行けないという状況。その間のじりじりした感じを想像して書いているうちに、だんだん今のコロナ騒ぎとオーバーラップしてきた。詩人と私との間に共通項が生まれたということ。何か目に見えないものに縛られている感じに想像を巡らせた。コロナがもたらした想像力だと思う。家でずっと考えていることとはどんなことかと突き詰めていくうちに、一体何を考えることができるのかと、逆に問われている感覚があった。
 日本の文芸誌は、作家たちの日記のようなものをメインに載せていた。コロナを生きる自分の日常ではなく、そんな日常から何を考えるかを作品として書くことの方が、作家としては重要じゃないか。これから出てくるのだと思うが。
 ガエル・ファイユという作家が書いていた原稿が興味深かった。ブルンジ共和国というアフリカの小さな国の出身。フランスでラッパーをやっていて、「小さな国で」(早川書房)という著書がある。彼は実際にコロナに感染していたようだ。3週間くらい家から出ることができなかった間に祖母が亡くなり、その後、墓参りに行こうとして外に出るとコロナで町には誰もいなかった、というくだりがある。誰もいない町を見て、彼が想起したのは、子どもの頃に見た大量虐殺の風景。彼は実際に、何百万人もの人が虐殺された紛争を経験していて、その時のことを思い出した。そんな内容だった。
 そういうことをするのが作家じゃないかと思う。そういうことというのは、自分の内側をずっと掘り進めて、記憶の中の風景を探し当てていくことだ。今のこの状況で、文学の力で何ができるのかというと、社会はこれからこんなふうに変わるだろうと予言することじゃなく、自分の内側の風景を探り当てること。それが作家の、そして文学の力じゃないだろうか。それは、東京にいても地方にいても同じ。コロナの今は、基本的には足元を掘っていくしかない。そういう時代になっているのかなと思う。
 コロナが終わったらこんなふうに社会が変わるといった、近未来小説のような作品がこれから数多く出てくると思う。それも一種の想像力の使い方ではあるが、そういうのは社会学者や経済学者に任せておけばいい。小説家や文学者は、もっとパーソナルな、文学独特の想像力の使い方をすればいいし、読者もそんなふうに思って読んでくれたらいいと思う。
 評論家の立場としては、人が考えつかないやり方で、文学を更新できる人が出てきたら全面的に応援したいし、発見したい。一方で、作家として書く側に立てば、自分の内側の風景を探り当てたいという気持ちもある。

 【略歴】じんの・としふみ 1961年長崎市生まれ。立教大大学院特任教授。2018年、小説「泥海」(河出書房新社)で作家デビュー。著書に「じゃがたら」(同)「戦争へ、文学へ『その後』の戦争小説論」(集英社)「サッカーと人種差別」(文春新書)などがある。

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