疲労や不安…ケアラーにも支援を 日本ケアラー連盟・児玉真美さん インタビュー 【連載】大空といつまでも 医療的ケア児と家族の物語<15・完>

児玉真美さん

 JR広島駅で新幹線を降り、在来線に乗り換えると、瀬戸内海が広がってきた。かつて旧海軍兵学校があり、今も海上自衛隊幹部候補生学校がある江田島を右手に見ながら、電車に揺られること約30分。長崎県佐世保市のように旧海軍、海上自衛隊のまちとして知られる呉に着いた。
 その女性とは駅前のホテルロビーで待ち合わせていた。凜(りん)とした姿で現れたのは児玉真美さん(63)。重症心身障害のある海(うみ)さん(32)の母親で、一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事を務めている。
 「ケアラー」とは、高齢の親や配偶者の介護をしたり、依存症者やひきこもりの家族のケアをしたりしている人のことで、障害のある子どもの親も含まれる。同連盟は、こうした人たちが疲労や不安などで健康を損ねたり、貧困や孤立に追い込まれたりせず自分らしく生きられるよう、社会が支援する仕組みの必要性を訴えている。国内ではケアされる人を支える態勢は一定あるが、ケアラーへの視点が決定的に欠けているという。
 児玉さんに医療的ケアが必要な子どもの母親への支援についてインタビューした。

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障害のある子どもの親になると何が変わるのか。

 娘の海が生まれた時、私は地元の短大で英語の教員をしていた。娘を保育所に預けて夫と協力しながら育てれば、働き続けられると思っていた。だが娘が重い障害を持って生まれると、あらゆる制度が母親が働いていない前提で成り立っており、通院、施設通園、仕事を綱渡りするようになった。
 毎晩すさまじく泣き続ける娘を夫と交代であやし、頻繁に入院するたびに病院に泊まり込んで出勤した。疲弊して高熱を出しても気遣ってくれる人は少なく、「お母さんなんだから頑張って」と叱咤(しった)激励されてばかり。「人」ではなく「療育機能」になってしまった気がした。結局、娘が2歳の時に離職したが、なぜ天職と思っていた仕事を辞めなければならないのかという思いをずっと抱えていた。
 当時の大病院の医師は権威主義で命令口調。看護師も指導口調だった。私も社会人経験を一定積んでいたが、医療の世界では無知な子ども扱いをされ、無理解な言動に傷つけられた。娘は成長する可能性を秘めた赤ちゃんなのに、医療職にとっては正すべき異常や障害の固まりでしかなく、私は自宅で娘にリハビリをする「要員」でしかなかった。育児に不安を抱えているのに、頼るべき医療職から出てくる言葉は「母がひたすら頑張れ」。母に寄り添うという姿勢はなかった。

現在、医療的ケア児の母親の中にも十分に睡眠が取れず、日夜ケアに当たっている人も少なくない。

 医療的ケア児の病院から在宅への移行は、地域で家族とともに暮らせるようにすることが表向きの理由だが、そうした子どもたちが増えて病院のベッドをふさがないよう、自宅に戻ってもらわざるを得ないという事情もあった。
 その結果、母親が在宅で看護師の役割を果たすことになり、子どもの命を支えるための「機能」を担わされているという構図は以前と変わっていない。まるで母親は、疲れない、病まない、老いない、とでも思われているようだ。
 母親だって生身の人間だから限界はあるのに、誰かに相談してどうにもならないのであれば「しんどい」と言えない。「母親は頑張って当然」という意識が知らず知らずのうちに本人の中でも内面化してしまい、燃え尽きて虐待や殺害など悲しい事件につながる可能性もある。その時「なぜ助けを求めなかったのか」という批判が起こるが、「頑張って当然」という世間の空気に縛られている母親にそれを求めるのは酷ではないか。
 また日本の福祉制度は母親やそれを支える円満な家族を含み資産として設計されているが、そういう家庭ばかりではない。助け合う家族の姿を「美しい」で終わらせると、家族の中にケアを閉じ込めてしまうことになり危険だ。

▼どうすれば良いのか。

 通常の子育てを超えた部分は「介護」と捉えて、そこには十分な支援を入れるべきだ。子育てには愛着形成の面で大切な時期があり、母親が介護負担が重すぎて命を支えることだけで精いっぱいになってしまうと、親子で無心にじゃれあう余裕までなくなりかねない。母親が子育てに専念できる環境を整えなければならない。
 ただ、今は子どもを支えるサービスがほとんど。唯一の母親支援がレスパイトのため子どもを短期入所ができる施設に預けることだが、一時しのぎでしかなく、受け入れ施設も少ないため十分に利用できない。もっと言えば、短期入所も母親にケアを続けてもらうため休んでもらうことが目的で、主役はあくまでも子どもだ。
 母親はもともとは一人の女性。結婚や出産前から地続きの人生があり、社会生活の中で自分の夢、仕事、趣味、友達付き合いもある。障害のある子どもが生まれ、「母親でもある人」になった。生活の制約は仕方がないとあきらめさせるのではなく、母親を支援のニーズを持っている対象と捉え、一人の人として復権してもらうことが重要だ。

▼具体的にどうするのか。

 例えば英国では母親らケアラーについて健康的な生活を送っているか、当たり前の社会生活を営んでいるかなどを評価する「ケアラーアセスメント」が地方自治体に義務付けられている。そうして何が必要かを見極める。
 ケアラーも過労で倒れたり大けがをしたりすることはある。ずっとケアを続けられるという前提が誤りで、バックアッププランを考えておかなければならない。でも国内では子どもを短期入所の施設に預けようとしても空きが少ないのが現実。父親を亡くした知的障害者が施設を転々としたケースもある。
 医療的ケアに関わる専門職が頑張って母親を支える仕組みを作った地域もあるが、それは情熱を持った希有(けう)な人材がいて初めてできたこと。多くの地域は人材も社会資源も不足し簡単にできることではないのに、国は財政が厳しいため地域ごとの自己責任とされてしまっている。

▼希望はないのか。

 先月、埼玉県議会で国内初のケアラー支援条例が可決、成立した。「全てのケアラーが個人として尊重され、健康で文化的な生活を営むことができる」よう支援することを基本理念とし、県に推進計画の策定を義務付けた。また8年前には北海道栗山町社会福祉協議会が日本初の「ケアラー手帳」を作成した。表紙には「大切な人を介護しているあなたも大切な一人です」の文言が入っており、栗山町も条例化を進めている。私たちの連盟は国会議員にも法制化を働き掛けており、埼玉県や栗山町の取り組みが大きなうねりにつながるよう期待している。
 ケアをされる人もする人も尊重される支援が必要、と社会全体が意識を変えることから始めなければならない。

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【略歴】こだま・まみ 1956年生まれ。広島県呉市出身。京都大文学部卒業。米カンザス大大学院で修士号取得。現在は著述業。著書に「殺す親 殺させられる親」「海のいる風景」など。「私たちはふつうに老いることができない 高齢化する障害者家族」を近く刊行予定。

 


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