戦争では庶民が一番苦しむ  俳優 仲代達矢さん【インタビュー】 喜劇「ぺてん師タルチュフ」長崎で上演

昭和30年代、タルチュフを演出した長崎出身の田中千禾夫さんについて「非常に静かな方で口も聞けないくらいえらい人だった。千禾夫先生って呼んでましたね」と振り返る仲代さん=長崎市魚の町、市民会館

 業の深そうな表情で髪をなで付け、人妻に迫る男。「悪事が悪事になるのは人が騒ぎ立てるからです。こっそり罪を犯すのは罪を犯したことにはなりません」-。先月まで本県を含む全国各地で上演された無名塾の喜劇「ぺてん師タルチュフ」(モリエール作)。長崎市民会館でも、主役の仲代達矢さんは口達者でずる賢い敵(かたき)役タルチュフを圧倒的な表現力で演じた。
 裕福な商人オルゴンは、偽の神職者タルチュフに妄信し、自宅に招き入れる。支配するかのような立場にあるタルチュフの正体に気づいた家族は、オルゴンに忠告するが聞く耳を持たない。権威ある宗教界への痛烈な批判を込めたことから上演を差し止められたモリエールの代表作だ。作品への思いなどを聞いた。

 -上演の意図は。
 俳優座に入りたての24歳の時、座長の千田是也先生がタルチュフ、私は二枚目のヴァレールに抜てきされた。千田先生のタルチュフは素晴らしく、物語も面白く、いつかやってみたいと思っていた。
 私は昭和7(1932)年生まれ。昭和6年の満州事変で日本は戦争に入り、軍国主義の国になり、中学1年の時に敗戦。終戦と人は言うけれど、実は敗戦です。国を守るために、そして天皇陛下のために死ねという教育を徹底して受けた軍国少年だったから、そのつもりで生きていたのに昭和20年8月15日、多くの大人どもは1日にして親米派になった。大勢の庶民が戦争で殺されたのに。敗戦の頃は「世界で一国」になって地球上の平和を実現しようという大人もたくさんいたけれど、数年もたつと忘れて。そして今の状況はご存じの通り。
 世の中にペテン師はいっぱいいる。ペテン師みたいな政界の人も。タルチュフという芝居は、あしき体制のペテン師が大衆をだましてゆくという点で、戦争と平和を考える作品にもなるかなと思う。単なる娯楽劇ではない。喜劇だけど社会劇のつもりでやっている。

 -タルチュフを支えるオルゴンも重要ですね。
 はい。モリエールは主役はオルゴンだと。オルゴン一家が例えば国民全体であり、あしき体制者が引っかき回す。そんな解釈もできる。あしき権力者は、歴史の中で日本も軍国主義があったし、ドイツはヒトラーがいた。われわれは新劇だから人間とはどういうものなのかということを追求していくのが基本。あしき体制に抵抗していく演劇をつくってきたと思っている。87歳ですが新劇でまっとうし、死ぬまで頑張りたい。

 -今の日本について。
 取りあえず七十数年間平和では来たが、米国のトランプさんなんかと日本が一緒になってやっていこうなんていうのはやめた方がいいと、国民がもう少し批判的になってもいいんじゃないかと思う。戦争では一番下の庶民が一番苦しむんですから。
 人間はどこかペテン師的感覚があって、例えば総理大臣がそういう感覚なら戦争になっていくだろうと思いながら演劇をやっている。やっぱり人間とは何か、平和とは何か、人を信ずることとは何かと問いたい。

 -少年時代の体験は。
 東京にいたから毎日のように空襲。最悪の状況に陥ったこともあった。青山の友達のところに行くとき急に空襲に遭い、焼夷(しょうい)弾が次々に落ちてきた。5~6歳の女の子が1人で逃げていたから、その腕を持って逃げていたら、その子に直撃したんですね焼夷弾が。私の手に女の子の腕だけが1本残されて。それで恐怖のあまりそれを捨てちゃったんです。せめて墓に入れるなりすればよかったけれど。そういう強烈な体験があった。B29が飛び交って都市はほとんど全滅で、死人が(起きたまま腕を上げている姿勢で)こうなっている形で、林のように並んでいる。みんな苦しげに焼けながら、銅像のように。
 飢餓状態もすごかった。集団疎開で20人ぐらいお寺に泊まったが、歯磨き粉が1日で無くなる。みんな、なめるから。弁当も中学では豆かす。油を取った後の豆かすを10粒くらい封筒に入れて、それがお弁当。飢餓感は戦争が終わって何年も引きずった。

 -長崎は核兵器廃絶を発信している。
 いまだに(核兵器の)反対運動を日本の政治はしないらしいが。
 若い人たちがみんな死んでいって、もちろん兵隊さんも死んで、そういう戦争の経験を若い世代に伝えてないですよ学校も。第2次世界大戦がなぜ始まって、なぜ終わったか。世界状況はどうだったか。今の世界でどんな危機があるか。もし戦争に入るならどんな状況かということを国民全体で理解した方がいい。昔、米国の友人になぜ広島、長崎に原爆を落としたのかと言ったら、おまえたちが真珠湾攻撃を先にやったろうと言われた。しかし、けんかするより相手がどういうつもりでいるかと追求し、じゃあこうしよう、この問題では手を握ろうとか、そういうことでやっていかないといつまでも終わらない。人間は素晴らしいけども、愚かしさも随分ある。

 -愚かしいからこそ軍事を増強してにらみ合ってはならない。
 そうですね。NHKドラマ「大地の子」の撮影で中国へ行ったとき、スタッフの半分が中国人だった。いろいろ聞いたら、「おやじは日本に殺されたんだ」と。大変申し訳ないと言うと、「いえそれは歴史の問題」って言うんですね。確かに戦時中、私たちは日本のために死んで礎になるっていう教育を徹底的にやられてましたから。もちろん今の教育には表だってそういうことはない。政治だって戦争をやろうとは言っていないけれど、危うい感じはしている。だからこそ次世代の若者に戦争と平和の問題を考えてほしい。
 -現在、無名塾は長崎原爆の朗読会などに協力していますね。
 (無名塾の)彼らもね、だんだんうまくなってきてね。私を追い越していきそうなんで、負けてたまるかと思って頑張っている。

 【略歴】なかだい・たつや 1932年生まれ。東京都出身。52年、俳優座の養成所入所。55年、同養成所を卒業し俳優座入団。75年から俳優を育成する「無名塾」を亡き妻宮崎恭子さんと主宰。演劇、映画、テレビドラマで活動する日本を代表する名優。

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