長崎県内 惜しむ声広がる 元社会党委員長・石橋氏死去 

 基地の街・佐世保で護憲や労働運動を支え、旧社会党で書記長や委員長を歴任した石橋政嗣氏の訃報に、県内でともに運動した仲間らは13日、「信念を貫くリーダーだった」と功績をたたえて、別れを惜しんだ。
 関係者によると、死因は老衰で9日に福岡市内で息を引き取ったという。
 1955年の衆院選で初当選。83年に委員長に就任した。安全保障政策の論客として知られ、83年には持論の「非武装中立」を巡り、当時の中曽根康弘首相と激論を交わした。佐世保市の元県議で、社民党県連の吉村庄二代表(79)は「国会で大活躍した偉大な人だった」とたたえた。
 86年にはマルクス・レーニン主義と決別する新しい党綱領「新宣言」を採択。同年の衆参同日選挙で敗れた責任を取って委員長を辞任し、土井たか子氏に引き継いだ。90年に政界引退した。
 元佐世保市議の早稲田矩子さん(77)は、教職員組合の幹部をしていたころ、政界引退後の石橋氏の自宅を何度か訪問。国際情勢を教わったり、激励を受けたりした。「自分の考えを貫く生きざまを学んだ。大きなショック」と肩を落とした。
 石橋氏は出身団体の全駐労長崎地区本部で顧問をつとめ、晩年は親族と福岡市で暮らした。数年前までは自宅がある佐世保市に毎年戻っていたという。
 自民関係者からも惜しむ声が上がった。衆院旧長崎2区を石橋氏とともに勝ち抜いた金子原二郎参院議員(75)は「戦後の社会党の第一人者。立場は違うが長年、日本の政治、安全保障のために頑張られた政治家だった。舌鋒(ぜっぽう)は鋭かったが、会って話をすると人格者だった。人柄がにじんでいた」と振り返った。

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