石橋政嗣氏(95)死去 元 社会党委員長 非武装中立論を提唱、中曽根首相と論戦も

長崎新聞政経懇話会で講演する石橋政嗣氏=2000年1月、長崎市茂里町、長崎新聞文化ホール

 基地の街・佐世保で護憲や労働運動を支え、旧社会党で書記長、委員長を歴任した石橋政嗣(いしばし・まさし)氏が死去したことが12日、関係者への取材で分かった。95歳。同日、福岡市内で近親者らによる葬儀が営まれた。
 石橋氏は台湾生まれ。終戦後に佐世保市へ移り、佐世保地区占領軍勤務を機に全駐労佐世保支部委員長、佐世保地区労議長、県労評議長を務めた。
 1951年に県議に当選。55年に衆院旧長崎2区から出馬し30歳で初当選し、以後12回連続当選を果たした。70年から書記長を7年間務め、83年に第9代委員長に就任。86年に社会党が衆院選で惨敗し、委員長を辞任した。90年に政界を引退。
 衆院時代は60年の日米安保条約改定時に、当時の岸信介首相を厳しく追及し、「安保5人男」の一人に数えられた。66年には、自衛隊を国民警察隊に改組し、徐々に縮小するなどして非武装中立を実現する安全保障政策を提唱した。この政策を巡り、委員長として当時の中曽根康弘首相と論戦を繰り広げたほか、「非武装中立論」として出版された。
 関係者によると、石橋氏は福岡市で暮らし、数年前までは地元の佐世保市に毎年戻っていたという。

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