教皇来崎 その意義・中 長崎大核兵器廃絶研究センター長・吉田文彦さん(64) 爆心地から世界へ直言

「教皇の言葉はストレートだった」と語る吉田さん=長崎市文教町、長崎大核兵器廃絶研究センター

 ローマ教皇フランシスコは、核兵器廃絶を訴えるため長崎市の爆心地公園という原爆被害の原点中の原点である場所を選んだ。そこに立ち、献花し、祈り、決意を込め言葉を発した。一連の動きを国内外のメディアが報じた。被爆地には被爆者の存在に加え、メッセージの発信拠点として役割や力があると印象づけた。
 世界13億人のカトリックの指導者で、世界を代表する宗教家としての言い方で考えを語ると予想していたが、国際情勢に深く切り込み、問題点を具体的に指摘していた。核抑止を「偽りの確かさ」と批判し、核兵器の所有そのものも否定するなどストレートだった。
 国際的な平和と安定は「相互尊重と奉仕への協力と連帯という『世界的な倫理』によってのみ実現可能」と言った。これは核兵器禁止条約の前文に記された「倫理的責務」や、2016年に当時のオバマ米大統領が広島で「科学の革命は、道徳的な革命も求めている」と語ったことと共鳴している。政治指導者の責任は重いが、それだけでは実現できないから、市民社会の取り組みを呼び掛けた。
 バチカン(教皇庁)が最初の批准国の一つである核兵器禁止条約に言及したことも大きい。日本で想像されている以上にカトリックの影響力は強く、核保有国や「核の傘」国にも信者は多い。すぐに状況は変わらないと思うが、各国の世論や国会での議論が高まり、条約批准国が増えることを期待している。
 軍備拡張の資源を、全人的発展や自然環境保全に回すべきだと指摘したことも、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の視点とつながり、印象的だった。冷戦下の1981年、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世による広島での演説は、核戦争の防止が主眼だったと思うが、時代は大きく変わり、視野も広がっている。
 一方、フランシスコの広島での演説は、原子力の戦争利用を「犯罪」と言い切るなど、長崎よりも平和理念的だった。長崎と広島で色合いは異なるが、一貫性がある。二つで1セットと捉え、読む人は何かを感じてほしい。

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