下平さん、高校生に願い託す 病を押して懸命に 「平和とは人の痛みのわかる心を持つこと」

講演後、高校生に付き添われ会場を後にする下平さん(左)=長崎市、県勤労福祉会館

 「戦争のない平和な世界をつくってください」。約30分間の講演の間、この言葉を何度も何度も呼び掛けた。原爆の日を前に、被爆者の下平作江さん(84)が8日夜、長崎市内で若者たちを前に講演。力を振り絞り、次世代に願いを託した。
 1945年8月9日。当時10歳の下平さんは爆心地から800メートルの防空壕(ごう)で被爆した。一緒にいた2歳下の妹らは助かったが、壕の外にいた義理の母や姉は黒焦げになって死んでいた。義兄も翌日息絶えた。被爆後、病に苦しんだ妹は数年後に鉄道自殺した。バラバラになった体から頭を捜し出し、抱き締めた。
 40年以上前に語り部活動を開始した。今では長崎を代表する被爆者として知られ、年300回ほど講演している。だが近年は病が続く。肝硬変や緑内障。数年前に腰を痛めて以来、入退院を繰り返し、つえが欠かせない。
 それでも、高校生たちを前にするとよどみなく話し続けた。「平和とは、人の痛みのわかる心を持つこと。それが平和の原点」。マイクを置くと、ハンカチでそっと目頭を押さえた。
 講演会は「高校生1万人署名活動」実行委などが被爆体験を語り継ごうと開催。約100人の高校生らが集まり、下平さんの訴えに真剣に耳を傾けた。講演後、会場の高校生が「平和な世の中に生きているものとして、私たちには平和を訴える使命がある」と思いを述べると、下平さんの脳裏に妹のことがよぎった。「生きる勇気を持ち、素晴らしい人生を送ってください」
 最後におじぎをして、高校生らに付き添われながらつえを片手にゆっくりと会場を後にした。病を押し、懸命に平和への願いを伝え続ける下平さんに、若者から惜しみない拍手が送られた。

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