弟を悼み 平和願う 広島で入市被爆・伊藤さん 癒えぬ心身の深手

広島原爆の黙とう後、弟の完治さんを思い涙ぐむ伊藤さん=6日午前8時21分、長崎市上浦町

 広島原爆投下の2日後に広島を訪れて入市被爆した長崎市西小島2丁目の伊藤正庸(まさのぶ)さん(78)は「広島原爆の日」の6日、長崎市内で黙とうをささげた。長崎で被爆し、わずか1歳でこの世を去った弟を悼み「安らかに眠ってほしい」と涙をこぼした。
 伊藤さんは当時4歳。長崎市西小島町(当時)で両親、弟と暮らしていた。1945年8月8日、疎開のため、叔父と共に母の実家があった広島県庄原市へ向かった。広島駅が原爆で破壊されており、手前の横川駅で下車。爆心地付近を歩いた。
 一方、両親と弟の完治(さだはる)さんは8月9日、爆心地から約4キロの長崎市西小島町の自宅で被爆した。母は完治さんを連れ、15日に庄原の実家に逃げてきた。ところが完治さんは激しい下痢が止まらなくなり、間もなく亡くなった。
 伊藤さんは40代でがんを患い、手術を繰り返した。同時期に白内障と網膜剝離になり、右目の視力をほぼ失った。現在も通院する日々が続いている。
 これまで周囲に被爆のことを語らなかった伊藤さん。今年5月、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市平野町)に自身の被爆体験記を収めた。「戦争を知らない人たちのため、広島や長崎のような被爆者を出さないために」との思いからだった。その時、母も体験記を同館に寄せていたことを知った。その後、完治さんと両親の遺影も祈念館に登録した。
 午前8時15分。伊藤さんはサイレンに合わせて約1分間の黙とうをささげた。「弟には何とか生きていてほしかった。もう二度と戦争による被害は受けてほしくない」。今も癒えない心身の深手。その頬を涙が伝った。

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