被爆者を荼毘に付した諫早・百日紅公園 2世・高森ひとみさん 4世の孫と清掃

初めて参加した被爆4世の孫2人と草などを袋詰めする高森さん(中央)=長崎県諫早市、百日紅公園

 「74年前、ここで多くの被爆者が火葬されたんだよ」-。長崎原爆直後、諫早市に移送された後、息絶えた被爆者を荼毘(だび)に付した同市天満町の百日紅(さるすべり)公園で16日、長崎被災協・被爆二世の会・諫早の恒例の清掃活動があった。会員の高森ひとみさん(58)=長崎市=は、初めて被爆4世の孫2人とともに汗を流し、この地に刻まれた記憶を語り聞かせた。

 高森さんの母、田中キヌヨさん(82)は8歳の時、長崎市五島町で被爆。数日後に姉を失った。高森さんは母の原爆症認定の申請相談をきっかけに、2012年から被爆2世としての活動を始めた。

 同公園は当時、市営火葬場。火葬施設が足りず、周囲の畑に浅い穴を掘り、被爆者の遺体を焼いたという。同会は諫早に残る原爆の歴史を伝えようと、16年から年2回、清掃に取り組む。

 孫のひよりさん(8)、ひなたさん(6)は約2時間、小さな手で草を集め、ごみ袋に入れた。時折、高森さんが被爆直後の状況を説明。「おばあちゃんの話を聞き、学校でも平和学習を続けたい」とひよりさん。高森さんは「家族4世代のうち、孫が興味を持って学んでくれるのがうれしい」と“バトン”を託す存在に笑顔を見せた。

 清掃には同会と諫早子ども劇場、長崎ウエスレヤン大の教員、学生の計25人が参加。同会の森多久男会長は「過去最多の参加者で活動の定着を感じる」と話した。同会は7月21日、市内で平和コンサートを開く。

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