清野さん「原爆は残酷なもの」 川棚小で被爆者講話

被爆者の清野さん(右)の講話を聞く児童たち=川棚小

 長崎県東彼川棚町中組郷の町立川棚小(溝川浩校長、378人)で7日、被爆者の体験講話があり、4年生63人が、入市被爆者の清野定廣さん(81)=大村市福重町=の話を聞いた。

 清野さんは、原爆が投下された1945年8月9日当時8歳で、旧深堀村の寺で遊んでいた。激しい爆風にあおられて防空壕(ごう)に逃げ込んだことや風が収まって外に出ると大きなきのこ雲が見えたこと、しばらくして市中心部に動員されていた学生が真っ黒に汚れて帰ってきたことなどを、自分で描いた絵を見せながら説明した。

 3日後に、佐賀県へ疎開するため、きょうだいとともに爆心地に入って被爆。当時20歳だった姉は、原爆症で9月に亡くなった。子どもたちに、病床の姉を見舞う様子を描いた絵を見せながら「実際は姉の肌は黒く、髪の毛も抜けていたが、どうしても事実通りには描けない。語り部失格かもしれないが、原爆はそれほど残酷なもの」と語った。

 白尾陽菜さん(10)は「戦争の恐ろしさを知ることができた。これからもいろいろなことを学習したい」と感想を述べた。

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