大正、昭和、平成を生き抜いて 令和も戦争ない時代に 新上五島の吉村クンさん(94)、鉄川シヅさん(93)

子どものころの写真を見せ合い、笑顔を見せる吉村さん(左)と鉄川さん=新上五島町青方郷、町総合福祉センター

 大正、昭和、平成と三つの時代を生き抜いてきた新上五島町青方郷の吉村クンさん(94)と鉄川シヅさん(93)。太平洋戦争中は空襲の下を逃げ回り、戦後は懸命に働き子どもたちを育て上げ、今は平穏な日々を過ごしている。あと1日で戦争がなかった平成が終わり、新しい「令和」の時代が幕を開ける。3年前に出会い友人となった2人は「これからも平和な時代が続いてほしい」と願っている。
 吉村さんは16歳で青方村(現新上五島町青方郷)の学校を卒業。4人の兄姉は島外に出ていたが、母親が病気がちだったため末っ子の吉村さんは自宅に残り家事を担った。当時は水道が整備されておらず、風呂や飲用に使う水を自宅近くの川におけでくみに行った。
 太平洋戦争中の19歳の時に島を出て、戦闘機の部品を製造する福岡市の工場に就職。空襲が相次いだため命の危険を感じて仕事を辞め、実家に戻り終戦を迎えた。「悲しかったが、空襲ばかりで日本は負けると思っていた」
 23歳のとき、知人から紹介された5歳上の漁師と結婚。3人の子どもに恵まれ家事や育児に追われる毎日だった。「自分の楽しみを見つける時間はなかったが、私たちの世代はそんな感じではないか」と話す。
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 鉄川さんも14歳まで青方村の学校に通った後、戦時中は17歳のころから島を出て、福岡県久留米市で地下足袋を作る会社に就職。「空襲から逃げ回る日々だった」と振り返る。
 終戦前に実家に戻り、25歳で結婚。4人の子どもたちを育てるため、親が残してくれた土地でイモやコメを作って懸命に働いた。「働きづめの人生だった。米を炊くためまきをくべたり、洗い物は洗濯板を使ったりしていたが、炊飯器や洗濯機が出てきた時は便利さに驚き、随分楽になった」と言う。
 携帯電話も知人の勧めで約10年前から使っている。最初はかかってきた電話を取るだけだったが、親類と長電話をしたり、カメラで花の写真を撮影したりと楽しみ方も増えた。「これから新しい機械が出てきても使いこなせないかもしれない」と笑う。
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 3年前に鉄川さんが新上五島町社会福祉協議会のデイサービスを利用するようになり、先に参加していた吉村さんと交流が始まった。お互いを「クンさん」「シーちゃん」と呼び合い、週2回ボール遊びをしたり歌ったりして楽しい時間を過ごす。デイサービスがない日は互いの自宅を行き来し、おしゃべりや折り紙をすることもあるという。
 鉄川さんは「この年になっても新しい友だちができて幸せ」と言って笑い、吉村さんは「これからもデイサービスに通い、みんなと仲良く過ごしたい」と話し、平和な日々が続くことを願っている。

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