昭和31年開館「諏訪東映劇場」建物 取り壊しへ 面影残る倉庫 26日まで内覧可能

長崎日日新聞(長崎新聞の前身)に掲載された「諏訪名画劇場」の広告(1956年6月8日付)

 長崎市新大工町で、かつて映画館として利用された築63年の建物が、新大工町地区の再開発事業に伴い、今夏にも取り壊される。建物は果物店「島田フルーツ」の倉庫として改修され、使用されてきたが、店が3月末に閉じた。昭和30年代の映画ブームのころ、映画館に通っていた人たちからは、子ども時代の思い出の場を懐かしむ声が上がる。

 映画館は「諏訪東映劇場(オープン時は諏訪名画劇場)」。「長崎市制六十五年史」によると、同館は1956(昭和31)年6月に木造2階建て、収容人数300人で開館した。閉館時期は不明。

 「ながさき・愛の映画祭委員会」事務局によると、昭和30年代に映画ブームが到来し、映画館は商店街や市場の近くに次々と建てられた。ピーク時には市内に26の映画館があり、このうち新大工町には同館と「新大映画劇場」の二つが存在していたという。だが昭和60年代以降、テレビが普及すると、まちの映画館は少しずつ姿を消していった。

 弟を連れて、映画「赤胴鈴之助」を諏訪東映劇場で見たことがある立山4丁目の内田秀賢さん(76)は「ごった返すほどにぎわっていた。子ども同士で行くのはご法度で、担任の先生に見つかるのが怖かった。思い出が詰まっている場所」と振り返る。

 島田フルーツの島田宏志さん(37)によると、昭和40年代初めに島田さんの祖父母が建物を改修し、映画館だった建物を倉庫として利用した。倉庫の内側には現在も映写機があった場所や、映画館の壁面の面影が残されている。買い物客は倉庫に立ち入れないため見えなかったが、立ち退きの片付けに伴って奥まで見えるようになると、通行人が「ここで映画を見ていた」「こんなに広かったとね」と声を掛けてくれるという。島田さんが店にいる間、映画館の面影が残る倉庫を26日まで内覧できる。

映画館の面影が残る島田フルーツの倉庫=長崎市新大工町

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