万葉公園にわかに脚光 「令和」発表後 壱岐・石田

雪連宅満の死をしのんだ歌を刻んだ歌碑=壱岐市石田町

 新元号「令和」が発表されて以降、典拠となった万葉集にちなみ、長崎県壱岐市石田町の万葉公園の注目度が高まっている。
 同公園は1969年10月、明治100年を記念して旧壱岐郡石田町が整備した。736年、新羅(しらぎ)への使節団「遣新羅使」の一員だった雪連宅満(ゆきのむらじゃかまろ)が新羅へ向かう途中、同町の印通寺地区で病死。町内に葬られたとされる。万葉集には雪連宅満の死をしのんだ歌「石田野に 宿りするきみ 家人の いづらとわれを 問はばいかに言わむ」がある。公園には歌碑が建立され、万葉公園と名付けられた。現在は市が管理し10月に開園50周年を迎える。
 公園は今月、花見客でにぎわった。妻と友人夫婦の4人で訪れた同市芦辺町の堀口謹治さん(64)は「万葉集が典拠と聞いて、令和になじみが湧いた」と話し、一緒に来ていた同町の近藤美穂子さん(64)は「令和の響きが良い。4人で日帰りの太宰府参りに行きたい」と声を弾ませた。家族と遊びに来た市立田河小4年、中尾悠愛さん(9)は「桜もたくさん咲いてきれいな場所。令和は言いにくいなと思った」と笑った。

桜が見ごろを迎えた今月上旬、万葉公園を走り回る子どもたち

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