故丸山七郎駅長の功績 後世に 松浦・調川で慰霊祭 旧国鉄松浦線調川駅

故丸山駅長の功績をしのび、冥福を祈った慰霊祭=松浦市調川町

 旧国鉄松浦線調川駅(現在のMR調川駅)で戦時中、軍の灯火管制に逆らい、明かりをつけて脱線事故の復旧作業に当たった故丸山七郎駅長の慰霊祭が命日の5日、長崎県松浦市調川町の同駅を見下ろす場所に立つ称頌(しょうしょう)碑前で行われた。
 丸山駅長は1943年4月5日夕、同駅で起きた貨物列車の脱線事故の復旧作業を指揮。当時は空襲警報中で軍の灯火管制が敷かれていた。夜間になり、思うように復旧が進まない中、丸山駅長は独断で明かりをつけて作業を完了させた。
 その後、丸山駅長は脱線事故と軍の命令に背いた責任を負い、自ら発車の合図をした機関車に飛び込んで亡くなった。碑は丸山駅長の死を悼み、2年後の45年5月に旧国鉄職員や住民らの募金で建てられた。
 碑の存在は長く忘れられていたが、「戦争が招いた悲劇。丸山駅長の功績とともに後世に語り継いでいきたい」と今福神社(早田伸次宮司)、松浦鉄道協力会などが昨年から慰霊祭を開いている。
 慰霊祭にはMR調川駅の名誉駅長の澤邉武彦さん(83)ら地域住民が参列。玉串をささげ冥福を祈った。消息不明だった丸山駅長の遺族とも今年2月に連絡が取れ、今月3日には孫夫婦がお参りに訪れたという。

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