世界一を目指し続ける 柔道 田川兼三 長崎国体世代の現在地(3)

 対戦相手が嫌がることをやり続け、疲れてきたところで粘り強くポイントを取る。「簡単には勝ってきていない」。柔道男子66キロ級で全日本連盟B強化選手の田川兼三は、苦笑いしながら自らの今のスタイルをこう分析する。だから、やらなければならないことは分かっている。「一発で決める技、威力をつける」。世界の頂を目指す以上、それが必要だと。

 ■超えたい壁
 同じ階級に立ちはだかる高い壁が、モチベーションの一つになっている。世界選手権2連覇中で、今の日本柔道界で最も注目されている阿部一二三(日体大)だ。初対戦は東長崎中3年で臨んだ全国中学大会。個人で「3位ぐらい」を目標にしていたが、初戦でぶつかって優勢負け。力の差を感じた。「高校でやっていけるのかな」。自らへの淡い期待を砕かれた。
 気持ちを切り替えて進んだ長崎日大高で、才能は徐々に開花する。個人は1年の県高総体こそ3位だったが、その後は各種県、九州大会で、ほぼ負けなし。3年夏の南関東インターハイでは全国初のメダルとなる準優勝を果たした。
 だが、この決勝も、続く秋の全日本ジュニア体重別選手権の準々決勝も、ことごとく阿部に敗れた。どんどん知名度を上げていく一学年下のヒーロー。筑波大進学後、昨年10月に全日本学生体重別団体優勝大会決勝で再戦したときも、勝てなかった。「倒せば、自分が有名になれる」。闘志は燃やし続けているが、その差は、まだあると感じている。

 ■強い地元愛
 多くの国際舞台を踏んできた中で、特に大きかったのは大学3年2月のグランドスラム・デュッセルドルフ大会。海外の五輪経験者も出場する舞台に、日本代表の井上康生監督から「誰もおまえのことなんか見ていないから、楽しんでこい」と送り出された。その言葉を胸に、持ち味のしぶとさを発揮。準決勝、決勝と延長戦を制して優勝した。見据えている目線の位置がぐっと上がった。
 高校の後輩からも刺激を受けている。昨年の東海インターハイ個人王者で、今春から日大に進む桂嵐斗は同じ66キロ級。「あのかわいかった少年が、今は怖い存在。今後、一緒の舞台で戦うかもしれないなんて」。モチベーションが、また一つ増えそうだ。
 4月から、了徳寺学園に所属しながら、筑波大大学院に通う。保健体育の教員免許を取得しており、地元の長崎も「今すぐにでも帰りたいくらい好き」だ。でも、まだ今は終着点ではない。「自分がどこまでできるのか知りたい。やり切りたい」。その先に「世界一」というゴールがあると信じている。

2019年1月、母校の初稽古で笑顔を見せる田川=諫早市、長崎日大学園鳳雛舞館

 【略歴】たがわ・けんぞう(長崎日大高-筑波大-了徳寺学園)
 長崎市出身。兄の影響で4歳から橘柔道教室で競技を始め、高城台小、東長崎中に進んだ。長崎日大高1年3月の全国高校選手権後に階級を66キロに上げ、2、3年時は団体、個人ともインターハイに出場。国際大会も経験した。筑波大では1年時から団体メンバー。個人も講道館杯全日本体重別選手権と全日本選抜体重別選手権2位、グランプリ・ブダペスト大会優勝など国内外で実績を残した。173センチ、70キロ。1996年10月31日生まれ。

◎回顧録 2014長崎国体/再確認した応援の力

 「小学生のころから“国体、国体”と言われてきた。国体世代だから、いろんな経験ができた」。田川兼三は少年男子の県選抜メンバーとして出場。44年ぶりに入賞した前年の東京国体に続いて5位に入った。準々決勝で東京に敗れたが、田川は2回戦、準々決勝とも白星を挙げた。印象に残っているのは、会場を埋め尽くした応援団の熱気。「小さい子どもたちが叫んでくれた姿は覚えている。普段以上のものが出せた」。応援の力を再確認した大会だった。

少年男子準々決勝。果敢に攻めて、東京からチーム唯一の白星を挙げた田川(右)=諫早市小野体育館

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