集め続けた戦争の記憶 平和祈念館天望庵を設立・運営 藤原辰雄さん死去

 戦争に関する資料や写真を集めた「平和祈念館天望庵」(佐世保市吉井町)を私費で設立し、運営していた元中学校教諭、藤原辰雄さんが昨年末に91歳で亡くなった。二度と戦争を起こさないために自分で知り、考えることの大切さを訴え続けた藤原さん。遺族は「(経験を)話せなくても見てもらうことはできる」と当面は来館者を受け入れる。

「19日佐世保市民の会」で行進する藤原さん=佐世保市内(2007年)

 9日午後。草木に囲まれた一軒家の奥の部屋には、古い紙の匂いを帯びた空気が漂っていた。壁を埋め尽くすのは茶色の軍服や、空襲で焼けた佐世保の街並みを収めた写真。“主”を失った祈念館はこの日も、全国から集まった戦争の記憶を守り続けていた。
 藤原さんは佐世保市の宇久島出身。海軍兵学校に志願し、特攻隊員になる前に終戦を迎えた。戦後は中学校教員として勤務。「佐世保空襲を語り継ぐ会」の結成に関わったり、「19日佐世保市民の会」のデモ行進に参加したりするなど、長年にわたり市内の平和活動を担った。
 戦争について視覚や聴覚に訴えられるような場所を-。そんな思いで天望庵を設立したのは退職後の1988年。静かに考えられる環境を求め、あえて街中から離れた場所を選んだ。
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 家庭では、教員だった妻とともに5人の子どもを育て上げた。戦争が正義だと“だまされた”少年時代、「二度と戦争はしない」と心に刻んだ戦後の日々…。藤原さんは自分の経験を家族に度々伝え、意見を求めた。
 「戦争では相手だけでなく自分も死ぬ可能性がある。そんな人生を歩むのか」-。
 長男の可能さん(61)は、軍備の縮小や撤廃が必要と訴える藤原さんに反論した際、返された言葉が忘れられない。反戦に情熱を燃やしながらも決して考えを強制しなかった藤原さん。「おやじの言うことは理想だったかもしれない。でも、理想を語る人がいなければ平和的な進歩はないと思うようになった」
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 藤原さんは来館者に熱心に話をして、資料の貸し出しにも快く応じた。だが年を重ねるうちに、展示物の整理中に、はしごから落ちたり、説明中に言葉が出なくなったりするようになった。「自分がいなくても人に来てもらえる。ここがあってよかった」。そう家族に明かし、祈念館の引き継ぎ方を考えていたという。
 今では数が把握できないほどになった資料。祈念館を存続するか、別の施設に寄贈するかは整理を進めながら決めていく。「(藤原さんが遺した)たいまつの火を誰かがまた受け取ってくれるようにしたい」
 託された平和のバトンをどのようにつなぐのか、家族は考え始めている。

さまざまな人から寄せられた資料を集めた平和祈念館天望庵=佐世保市吉井町

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