72年ぶり“帰郷” 大貝彌太郎展開幕

 戦中の長崎県諫早を描いた画家、大貝彌太郎(1908~46年)の画業を振り返る展覧会(諫早市主催)が22日、東小路町の市美術・歴史館で開幕した。大貝が勤めた旧制県立諫早中(現・諫早高)の風景や戦地に赴く少年兵の姿などを優れた観察力で描いた約100点が72年ぶりに“帰郷”した。

 大貝は福岡県水巻町出身。旧制県立五島中を経て、41年から諫早中美術教諭。44年、長崎地方航空機乗員養成所で図画教諭となり、46年に結核で死去。38年の生涯で描いた作品は約2千点といわれ、妻(故人)が大半を保管していた。

 同展は水巻町以外で初の展覧会。開会式には、長男の大貝彌隆さん(78)=東京都=と三男の彌久さん(74)=水巻町=、宮本明雄市長らが出席。彌隆さんは「家の中に眠っていた父の作品を、母が世に出そうと一生懸命だった姿が思い出される」と話した。

 会場には少年兵を描いた代表作「飛行兵立像」をはじめ、五島や諫早の風景画、息子らのデッサンが並ぶ。明るい色合いの五島時代に対し、モノトーンの小品が多い諫早時代の作品を通し、画材が不足した戦中の窮状がうかがえる。

 諫早中時代の教え子、向井安雄さん(92)と大貝作品に精通する水巻町の画家、佐藤幸乃さんが講演。佐藤さんは「明暗を正確に描写した“光の画家”。大半が五島や諫早で描かれ、長崎の画家といっていい」と解説した。1月27日まで(12月29日~1月3日、火曜休館)。無料。

 ■旧制県立諫早中の教え子で、大貝彌太郎展に協力する会発起人の向井安雄さん(92)に恩師とのエピソードや作品に込められた思いを聞いた。

 戦争で命を落とすことが当然だと思っていた時代。先生との接点は美術の授業とグライダー部のほか、西小路町の自宅がすぐそばだった。新聞社主催のコンクールで入賞した絵画は、色や構図でなく、物の焦点のとらえ方を教えてもらった。静かに見守り、絵画が楽しくなる教え方だった。

 生涯の仕事を決めたのは先生の言葉。授業で取り組んだ設計図を見て、「君は設計士になったらいい」と言った。終戦直後、別の仕事をしていた時、ふと思い出し、設計事務所に就職。諫早市の技術職などを経て、不動産会社を経営した。

 代表作の「飛行兵立像」は、小野島町の長崎地方航空機乗員養成所の教官時代の作品。少年兵の輝きを失った瞳の奥に、せつなさを感じ取ったのだろう。戦況が緊迫化する中、戦争を高揚する作品でなく、自身の思いを残したいという本能で筆を握ったのだろう。絵画の奥に人間の尊厳が秘められているからこそ、長い年月を経ても、作品の価値が評価され続けている。

代表作の「飛行兵立像」を見つめる(右から)三男彌久さん、長男彌隆さん=諫早市美術・歴史館
大貝が暮らした西小路町の風景を描いた油彩と向井さん

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