被爆地の戦後史に焦点 原研初の歴史研究者 中尾麻伊香助教 「医学中心の復興 長崎にある」

 長崎市の長崎大原爆後障害医療研究所(原研)の助教に4月、原子力や原爆に関する科学文化史が専門の中尾麻伊香さんが着任した。原爆被爆者の健康影響の研究、治療を主な役割とする原研で、初めてとなる歴史分野の研究者だ。医療分野を中心に、被爆地長崎の戦後史に焦点を当てたいと意気込んでいる。

 「現在のメインは被爆者に関する医学調査の歴史。広島に比べ長崎は知られていないことが多い。キリスト教や浦上の歴史についても、すごく興味がある」
 放射線・環境健康影響共同研究推進センターに所属。原爆投下から73年がたち、被爆後の資料の保存、収集が重要性を増している現状を背景に、学内外と連携して原爆を巡る長崎の戦後史研究を前に進める役割が期待されている。
 2015年にまとめた博士論文は、19世紀末の放射線発見から原爆投下直後まで約半世紀を通じ、日本が核や原爆の知識をどのように受け入れ、社会にどう影響したかを、当時の新聞記事などを基に丹念に追った。「戦前、放射能は非常にポジティブに捉えられ、終戦後にも肯定的なイメージが引き継がれた。そうしたイメージは、科学者たちが戦前からメディアを通して研究を宣伝したことで形作られていた」と指摘する。
 米軍厚木基地(神奈川県綾瀬、大和両市)に近い同県厚木市出身。「もともと戦争の問題に興味があった」と語る。ドキュメンタリー作家を目指し、東京学芸大で映像を専攻。04年卒業後、神戸大修士課程に進み、核に関する博物館展示の研究を手掛けていた。05年に転機となる出合いに恵まれた。
 戦時中、京都帝国大(現在の京都大)が製作した原子核研究装置「サイクロトロン」。京都大総合博物館地下に、その部品の一部が保管されていることを知った。戦時中の日本の原爆研究に深くかかわる同装置に興味を抱き、来歴を追ったドキュメンタリー映画を制作。「核の歴史」の研究にのめり込んだ。
 「核の問題は環境、国際関係、貧富といったすべての問題とつながるのではないか」と語る。特に核を伝えるメディアの研究に関心を深め、07年から約8年かけて博士論文を完成させた。ただ「今後、戦後の研究に取り組む上で被爆地の視点は欠かせない」。それだけに「長崎に根付いた研究」に意欲を燃やす。
 「戦後、大学や医師、米原爆傷害調査委員会(ABCC)などが、どのように被爆者調査を進めたのか調べたい。医学を中心にした復興が長崎にはある気がして」と指摘。「例えば被爆者の白血病がどう一般に知られるようになったかなど、医学、被爆者、メディアの関係性から論じ、(戦時中まで扱った)博士論文の戦後編を書きたい」と先を見据えた。

 【略歴】なかお・まいか 1982年生まれ。2004年東京学芸大卒。神戸大大学院などを経て、東京大大学院総合文化研究科で15年博士号取得。立命館大専門研究員、マックス・プランク科学史研究所(ドイツ)博士研究員などを経て、18年4月から現職。09年に映画「よみがえる京大サイクロトロン」を制作。博士論文をまとめた著書「核の誘惑-戦前日本の科学文化と『原子力ユートピア』の出現」(勁草書房刊)をはじめ論文、共著、寄稿など多数。長崎市在住。

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