【平成の長崎】「平和のモトシマ沈む」 長崎市長選 無念の撤退 平成7(1995)年

 県都・長崎の新しい顔が決まった。16年ぶりの新顔。長崎市は伊藤一長さん(49)。天皇戦争責任発言、銃撃事件で「平和市長」として世界に知られた本島等さん(73)の5選はならなかった。
 
 「まさか」「信じられない」
 被爆地ナガサキのシンボル的存在として、「平和は長崎から」をアピールし続けてきた現職の本島等さん(73)がついに敗れた。県議5期、市長4期、通算36年の政治経験で初めて味わった苦杯。多選の壁は予想以上に厚かった。
 長崎市万才町の選挙事務所には午後7時すぎから支持者らが続々と集まり、テレビの開票速報に見入った。午後9時10分、到着した本島さんは、マスコミ各社の出口調査の結果を知っており、既に覚悟を決めていた様子。「被爆50周年事業をやるのが出馬の第一の理由だったが、受け入れられず落選した。全市民が今一度(被爆50周年を)考えてほしい。皆さん本当にありがとう」とあいさつした。抱き合って泣き出す女性も。
 本島さんは前回、右翼に銃撃されたことで「言論の自由」を旗印に4期目を戦い辛勝。陣営幹部の多くはこれで最後の選挙だと思っていた。だが、本島さんは「あなたは一つの時代を築いた。惜しまれるうちに身を引いたほうがいい」と引き留める周囲の声を抑え、出馬を表明。最終的に幹部らも同意したが、心の底に疑問が残っていたことも確かだ。「被爆50周年事業をやるのが私の執念」と平和問題を前面に据えた戦いだったが、他陣営からの多選批判がボディーブローのように効いていた。
 告示後のマスコミ各社の世論調査で劣勢が伝えられ、陣営は自主投票の旧民社・同盟、公明、地元選出代議士にも強力にアプローチ。「本島にはデータに表れない熱烈な票があり、最終的に一歩抜け出せる」と読んでいたが、支持者離れは予想以上に進んでいた。
 「すまんやったね」と支持者の一人ひとりと握手する本島さん。猫背の体がさらに一回り小さく見えた。
(平成7年4月24日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

被爆50周年事業への執念も実らなかった本島さん

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