【平成の長崎】長崎地裁と長崎新聞社に銃弾 平成3(1991)年

 1991年3月1日朝、長崎市万才町の長崎地方裁判所と同市茂里町の長崎新聞社の正面玄関にそれぞれ銃弾二発が撃ち込まれているのが見つかった。けが人はなかった。同市内では昨年8月、長崎市白鳥町の長崎拘置所で銃弾が撃ち込まれる事件が発生しており、県警は長崎署に捜査本部を設置して捜査している。
 長崎市内では昨年8月16日、本島長崎市長銃撃事件の右翼団体幹部が収監されていた長崎拘置支所に銃弾一発が撃ち込まれたが、未解決のまま。
 また、昭和63年12月の昭和天皇の病状悪化に絡み「天皇に戦争責任はない」などとする意見広告掲載を拒否されたとして、右翼団体幹部が長崎新聞社を相手に同広告掲載を求めた訴訟の判決が2月25日、長崎地裁であり、訴えは棄却された。
 長崎署は同日、捜査本部を設置、50人を動員して調べている。
(平成3年3月1日付長崎新聞夕刊より)

 

© 株式会社長崎新聞社