米軍占領下 原爆復興期の生活 23日から追悼祈念館で写真展

 原爆投下直後に米軍占領下にあった長崎の様子を捉えた写真展が23日から、長崎市平野町の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で始まる。長崎市が2013年から3年間、米国立公文書館で収集した約2600枚のうち、米国海兵隊が撮影した記録写真を中心に約70枚を展示。ほとんどが未公開で、原爆復興期を生きる市民の生活が表れている。
 新長崎市史によると、1945年9月から連合国軍が進駐を開始。沖縄戦に参戦した第6海兵連隊などが同23日に長崎港から上陸したのを機に、同27日までに1万8千人を超える海兵隊が長崎に入ったとされる。
 兵員は活水女学校や三菱造船所小ケ倉寮などを宿舎として、武装解除や巡察、交通整理などの治安維持業務に従事。仕事や娯楽など行動の記録をスナップ写真に収めていた。連合国軍総司令部(GHQ)は45年10月に「長崎軍政府」を設置。49年11月の廃止まで統治を続け、民主化や原爆復興を図った。
 写真展は長崎平和推進協会写真資料調査部会主催。人力車を使ったレースやダンスホールでの催しなど、米兵と市民が交流する写真も展示する。観覧無料、8月3日まで。

三菱造船所小ケ倉寮(現在の長崎市上戸町)にあった海兵隊宿舎の警備をする米兵と子どもたち。敗戦から間もない時期だが、子どもが米兵を恐れる様子は見られない=1945年9月29日(長崎原爆資料館提供)

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