「中国人原爆犠牲者追悼碑」建立から10年 遺族も式典に出席 長崎市長を訪問、感謝伝える

 戦時中に長崎県に強制連行され被爆死した中国人を追悼する式典が8日、長崎県長崎市松山町の平和公園であり、遺族ら約50人が犠牲者へ祈りをささげた。
 同公園内に位置した旧長崎刑務所浦上刑務支所で被爆死した32人の名前を刻んだ「中国人原爆犠牲者追悼碑」が今月、建立から10年となり、遺族の王金華さん(44)と王洪傑さん(42)が出席した。式典は同追悼碑維持管理委員会(大賀和男代表)主催。盧溝橋事件(1937年)の7月7日前後に毎年開催している。
 式典では、参列者が追悼碑に白い花を供えた。祖父が崎戸炭鉱に強制連行され爆心地近くの旧浦上刑務支所で被爆死した金華さんは、息子の死を聞いた曽祖母が間もなく亡くなり、生きるために父は重労働をしなければならなかったと遺族の暮らしを明かした。「長崎の良心ある友好的な人が、犠牲者のために追悼碑を建立してくれたことに感謝する」とも話した。
 9日、遺族らは追悼碑建立に協力した同市に感謝を伝えるため、市役所に田上富久市長を訪問。祖父が端島へ強制連行されて終戦後に亡くなったという洪傑さんは「ここで犠牲になった私たちの先輩の霊は、追悼碑のおかげで長崎での居場所を得ることができた」と述べた。田上市長は「二度とこのような戦争被害が生まれないよう、互いに力を尽くしていけたら」と話した。

追悼碑に献花する王金華さん(手前左)と王洪傑さん(手前右)=長崎県長崎市、平和公園

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