731部隊、詳細な隊員情報や組織機構が判明 70年前の公文書を新発見

旧関東軍防疫給水部に関する公文書について記者会見で説明する西山さん(京都市左京区・京都教育文化センター)

 第2次世界大戦中に細菌戦の研究をした「731部隊」を本部とする旧関東軍防疫給水部(関防給)について調査している滋賀医科大名誉教授らが19日、戦後に政府が作成した関防給に関する公文書を発見し、組織機構や支部の隊員の所属、敗戦前後の行動の一端が明らかになったと発表した。支部で細菌を生産していたことも公文書で初めて裏付けられたという。「不明な点が多い組織の隊員一人一人の情報や、元隊員の証言などの根拠となる文書で、歴史を検証する上で意義深い」としている。

 公文書は1950~51年に作成された「関東軍防疫給水部部隊概況」。滋賀医大名誉教授の西山勝夫さん(78)らが昨年、国立公文書館で見つけ、今年3月までに公開された計41枚を分析した。

 公文書から、関防給は本部と五つの支部などから成り、それぞれの組織機構も裏付けられた。大連支部については「終戦時迄(まで)主として細菌の研究及(および)生産に住じていた」(原文ママ)と記述があった。

 また林口、牡丹江、孫呉、海拉爾(はいらる)の4支部については「細部調査票」との文書があり、隊員の氏名や階級、本籍などが記されていた。さらに各支部の変遷を示す表のほか、敗戦前後の各支部の部隊の行動を地図上に示した「行動群経過要図」もあり、経由地や日にちのほか合流や戦闘などの記載から部隊の詳細な動きがうかがえる。

 隊員が戦後、旧ソ連に抑留された際の収容所名を記した文書もあった。51年段階で政府が敗戦時の関防給の隊員数を計3262人としていたことも分かった。

 一方、公文書には本部(731部隊)や大連支部の細部調査票や行動群経過要図などが含まれていなかった。西山さんは「他の支部があることから考えると不自然。文書公開まで長期間を要すると、生存者への聞き取りなど検証がしにくくなる。速やかに公開する仕組みが必要」と指摘した。今後医学や歴史学の研究者らでつくる「15年戦争と日本の医学医療研究会」(大阪市)などと協力し、調査を進めるとしている。

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