「Jリーグ大誤審」苦悩の1年、消えぬ後悔と決めた復帰 信頼できる判定で恩返し

昨季のJ1浦和-湘南戦で、選手らの抗議を受ける主審の山本雄大さん(中央)=埼玉スタジアム(写真提供:共同通信社)

 昨季のJリーグで「大誤審」と耳目を集めた試合があった。笛を吹いていたのは、日本サッカー協会(JFA)が「プロフェッショナルレフェリー」として認定する山本雄大さん(37)=京都府木津川市。ゴール場面を「ノーゴール」と判定し、「自分の審判人生は終わった」と自らを責め、悔いた。周囲のサポートで現場に復帰したが、その後も苦悩は続いた。あれから約1年。取材に、当時の心境などを語った。

 ≪昨年5月17日、J1浦和-湘南のナイター。浦和が2点先制した前半30分過ぎ、湘南のシュートが右ポストに当たり、左サイドネットを揺らした。ゴールラインを割っていたが、直後にボールは跳ね返り、浦和GKの手に収まった。山本主審はノーゴールと判定。湘南側は猛抗議したが、判定は覆らず。その後、湘南は3点を奪って逆転勝ちしたこともあり、試合は世間に強い印象を残した>

 結果論だが、気の緩みがあったんだろうというのが一番の反省点です。湘南の縦の速いボールが入った瞬間に止まってしまい、本来なら左側に位置取るはずが、後ろからボールを追いかけてしまった。結果、前に選手が4、5人いて、右ポストに当たった後のボールが見えなかった。次に視野に入った時は、浦和GKの手の中。副審からは無線で「入っていない」、その後に「続けて」と入った。
 湘南の選手が喜んでいるし、スタンドの雰囲気は明らかにゴールだが、自分が見えていない情報は自分の仲間からしか取れないし、信用できない。副審も第4審判員も、入った確信を持てなかった。もし審判団の誰かがゴールしたように見えていたなら、集合して話し合えたが、それもできないと判断した。最終的に主審である自分の責任です。

 <判定に試合は一時中断。スタジアムは騒然となった>

 前半が終わり、スタジアムの雰囲気が味わったことのないテンションに満ちていた。(身の危険があるため)4人の審判全員がそろうまでピッチに待機し、一緒に控室に戻った。その時点で映像は見ていないが、これは100パーセント判定が間違っているなと。
 ハーフタイムはトイレにこもりました。自分の審判人生は終わりやと思った。選手も人生を懸けているし、自分も生活が懸かっている。取りあえず、残り45分をやりきることだけに集中しようとした。後半は、自分がどんなレフェリングをしたのか覚えてない。入り込んでいたんでしょうね。

 ≪JFAは映像確認や審判への聞き取りなどを経て、試合の3日後に臨時の審判委員会を開き、山本さんらを2週間の公式戦割り当て停止とした。JFAが審判への措置を公表するのは異例だった≫

 処分のことを考える余裕すらなかった。テレビでも取り上げられ、家族への影響だけ考えた。私は「寝る」「食べる」がしばらくできなかった。フラッシュバックがあり、ずっと後悔。(審判の先輩で)世話になっている扇谷健司さん(JFA審判委員会国際・Jリーグ審判デベロプメントシニアマネジャー)が全面的にサポートしてくれた。自宅近くまで何度も来てくださり、2人で泣いたことも。フィジカルや技術面の復帰プログラムも受けたが、精神面を支えてくれたのが大きかった。

 ≪約1カ月後の6月14日。J1川崎-札幌戦で主審に復帰した≫

 お客さんや選手が「頑張ってね」「お帰り」と声を掛けてくれました。温かかった。サッカーファミリーと思ってくれているのかな。もうミスできないという気持ちで緊張したが、自分で戻りたいと決めたので、もう逃げない。でも昨季が終わるまでは、ミスしたくない気持ちが無意識に働いているのか、思い通りにいかず苦しかった。

 ≪9月、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)が2020年シーズンからJ1で導入されることが決定。予定から1年前倒しとなった。山本さんは今季のJ1開幕戦でVARを担当した≫

 (VAR導入への)議論を加速させる発端になったのは私。迷惑をかけて申し訳ない。VARのメリットは、審判団や選手、観客がより安心感を持てること。選手の悪質なファウルも減る。審判は研修も受けており、2年ほどかけていろんな映像を見て議論した。まずは主審が自信を持ってフィールド上で判定することが大事です。最終判定は主審。

 ≪新型コロナウイルスの影響でJリーグは中断が続く≫

 正直つらい。コンディションやモチベーションの維持は、選手と一緒でかなり難しい。トレーナーと連絡を取り、木津川のサイクルロードを走ったり、自宅で体幹トレーニングをしたりしている。週2、3回オンラインで技術研修も受けています。
 リーグ再開後は、まず正しい判定をして、選手に「山本なら安心して試合できる」と思ってもらえる審判を目指したい。国際審判でもある以上、2022年、26年のワールドカップも目指したい。それが恩返しであり、やらなければならないこと。

 やまもと・ゆうだい 京都府木津町(現木津川市)出身。城陽高時代はGKとして全国高校選手権の府大会4強。国体にも京都代表で出場した。陸上自衛隊を経てレフェリーカレッジへ進み、1年終了時に1級審判を取得。2008年にJFL、09年にJ2、10年からJ1の笛を吹き、11年から国際主審(現在国内男女計11人)。15年から審判に専従するプロフェッショナルレフェリー(現在主審計12人)。
 

誤審の経緯

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