谷垣さん、車いすになって見えたもの パラの意義「感動じゃない」

東京パラリンピックを契機とした社会のあり方について語る谷垣さん(東京都世田谷区)

     2016年夏、趣味の自転車で転倒し頸髄(けいずい)損傷の大けがを負って政界を引退した自民党前幹事長の谷垣禎一さん(74)。障害当事者となった立場から、東京パラリンピックに向けてさまざまなメディアや公の場で思いを発信している。京都新聞社のインタビューに応じ、多様性を尊重する社会のありようや障害者スポーツの意義について語った。

  -自転車の事故に遭った時、何を考えたか。

 「直後は集中治療室にいたが、回復してくると、リハビリで少しでも動けるようにということが目標になった」
 「自転車に乗るときには余計なことを考えないように、と私は周囲に言ってきた。例えば、消費税の税率をいつ上げようかとか、衆院解散を打つ手があるかどうか、とか。そういうことを考えないようにして、走ることに集中するのがいいとくり返してきた」
 「ところが、あの事故の瞬間は、そういう浮き世の心配事を考えたのがいけなかった」
 「自転車なんか乗っているからこういうことになる、と言う人はたくさんいる。だがものは考えようだ。脊髄損傷などになった人は、それ以前に運動をしていたのとそうでないのでは回復の度合いが違うと医者に言われた。70歳過ぎまで、暇があれば自転車の遠乗りや峠道に挑んだが、そういう意味で悪いことではなかった」

 -退院して街に出て、新たに見えてきたこと、感じたことは?

 「バリアフリーと言われるが、車いすでは移動しにくいのが実情だ。私は政治も引退しているが、もう少し若ければやっぱりできるだけ働きたい。でも、東京都内を地下鉄で移動するのは相当大変。朝はものすごく混んでいる」
 「その反面、リハビリ病院や介護に当たる人たちからは、車いすに対する理解はずいぶん進んできたと聞いた。車いすの人の移動を手伝おうと思っている人も多いと思う」
 「ただ、車いす利用者に道を譲るときに具体的にどうしたらいいのか、必ずしもみんなが理解しているわけではないだろう。安全に譲ったり譲られたりするためには、限られた公共空間をどのようなルールでシェアしていくかが課題になる。そこまで意識して考えている人はどれぐらいいるのだろうか」

 -昨年の参院選で重度障害のあるれいわ新選組の候補者2人が当選し、国会もバリアフリー化が進む。政治家の意識が変わるという意味でも大きいことではないか。

 「私も入院中は(衆院議員の)バッジをつけていたから、衆院事務局に登院について問い合わせると、どのように着席するかを検討してくれた。れいわの2人についても、階段をなかなか登れないといった部分は解決できつつあるだろう」
 「でも、基本的に1人じゃ動けない。介助者は保険制度の範囲内で来てくれるシステムになっている。介助者は他の障害のある人のお手伝いもしていて、時間制限などのルールがある。くるくる予定は変えられない」
 「私が政治活動を続けようと思ったら、やっぱり専属で介護する人が常に付き添ってくれないと難しい。保険であらゆることをまかなおうとすれば、保険財政が持つのかという話にもなる」

 -パラリンピックでは、障害のあるアスリートが驚くような能力を発揮する。さまざまな人が輝ける場所が社会にあることを伝えるショーケースになる。

 「けがをしてからパラスポーツの方とお会いする機会が増えた。パラサイクリングで世界チャンピオンになった杉浦佳子さんは脳機能障害や三半規管障害がある。三半規管障害を持った人がどうやって曲がるのか、と思い杉浦さんに聞いたことがある」
 「自転車はハンドルを曲げて曲がるのではなく体を傾けて曲がるものだが、杉浦さんは、最初は前を走っている人の動きを見て曲がっていたそうだ。一般の人も彼女の努力に感動すると思う」
 「一方で、パラスポーツの意義は、よく鍛えたなと感動することじゃなくて、むしろ障害を持った人が楽しみを見出してやっていけることにあり、人が見て感動するかなんてどうでもいいことじゃないか、とも思います」

 -パラリンピックは社会を変革する重要な契機になるとも言われる。何が変わると思うか。

 「パラリンピックの場合は障害者に光やスポットを当てる。世の中は健常者だけで成り立ってるわけじゃない。障害者がどういうふうに個性を生かしていくかという機会の一つです」
 「多摩川の河原で車いすマラソンの練習している人をよく見かけます。使っている機材はすごく高価。(自転車の経験から)オールカーボンでオーダーメードだと1台100万円を下らないように見える。あるいは、もっと高いかもしれない。パラスポーツはいろいろお金がかかるだろうし、場所を探すのもなかなか大変だと思う」
 「健常者のスポーツも、ラグビーが盛り上がり、プロリーグ化して発展させていこうとしている。スポーツの発展段階はいろいろ。昔は学校スポーツが中心だったが、今盛んなスポーツはみんなプロ化につながっている」
 「トップアスリートは前よりも競技に集中できるようになった。1964年の東京五輪は、当時のIOC(国際オリンピック委員会)会長は徹底的なアマチュアリズムでした。それからガラッと変わった。要するにスポーツはみんな産業化している。なぜ8月に暑い東京でやるのかという問題は、五輪もスポーツという人間活動を産業の一環としていく流れがあるからこそ、その金を集めるためにスポンサーがつかなきゃいけない。いいか悪いかは議論もあると思うが、少なくとも産業化することによってより多くのスポーツで、より多くの能力のある人が能力を発揮しうる状況はできている」
 「パラスポーツが産業化しうるものになるのかはわからない。優秀な人は企業がバックアップしている。東京大会の後、そういう動きがどうなるか、というのがまず第一の試練だろう。東京大会の盛り上がりがそのままに、というのは難しいかもしれない。でも、ある程度は維持していくことができるか。それが当面の課題じゃないかなと思う」

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