【第39回】救った命に寄り添う 家族の犠牲、見過ごせぬ  支える「医療的ケア児」

母親のおなかの中でうまく育つことができず、緊急帝王切開で生まれた赤ちゃんを診察する田村正徳さん。シュバイツァーに憧れ東大医学部に進み、「未来ある子どものために」と小児科を選んだ=8月4日、埼玉県川越市(撮影・堀誠)

 埼玉県川越市にある埼玉医大総合医療センターの新生児集中治療室(NICU)。母親のおなかの中の環境に近づけるため、薄暗く保たれたフロアに保育器が並ぶ。
 8月4日午後、同大の総合周産期母子医療センター長を務める田村正徳さん(68)が、妊娠23週で生まれた男の赤ちゃんが眠る保育器に両手を差し入れた。聴診器を胸にあてると、400グラムにも満たない、産毛に包まれた小さな体がくすぐったそうに動く。田村さんの表情が少し緩んだ。
 

 ▽休息の場

 早産の超低体重児や脳に障害が残った赤ちゃん、心臓や肺に先天性の病気がある子―。ベッド数51床、国内最大級のNICUは、命を取り留めたものの、重篤な状態から抜け出せない子どもたちで埋まり、スタッフがせわしなく動く。
 子どもたちの多くは、喉に開けた穴や口にチューブを入れ、人工呼吸器をつけている。口からミルクが飲めない子には、胃に穴を開けて栄養を送る胃ろうをつくる。真剣なまなざしで、喉の穴からたんを吸引する方法を看護師に教わる母親の姿も。「容体が安定すれば、呼吸器をつけたまま退院して在宅医療に移る。その準備です」。田村さんが教えてくれた。
 出産年齢の上昇や不妊治療の普及による多胎児など、さまざまな要因で“ハイリスク出産”が増える一方、医療技術の向上で救えなかった命が救えるように。医療機器の力を借りながら生きる子どもたちは、いつしか「医療的ケア児」と呼ばれるようになった。
 「だが医療や福祉、介護、教育など子どもたちのその後を支える制度は十分とはいえない」と田村さん。母親がわが子のために全てを犠牲にする姿を見過ごせず、患者や家族のための活動を続けてきた。その一つが家族の休息の場となる短期入所施設「カルガモの家」の開設だ。
 NICUのある病棟から歩いて数分。2階建てのカルガモの家(ベッド数44床)には、医師や看護師もおり、NICUを退院して自宅に戻った子どもたちを一時的に預かってくれる。
 

 ▽睡眠3時間

カルガモの家で長男謙信君と過ごす松本麻衣さん。謙信君はこの春小学生になったが、週3日1回90分、自宅での訪問授業しか受けられない。「通学には親の送迎が必須。まだまだ壁は高い」=8月4日、埼玉県川越市(撮影・堀誠)

 「謙信、ごはんにしようか」。4日夕、カルガモの家に預けた長男謙信君(7)の様子を見に来た埼玉県の松本麻衣さん(34)が胃ろうに栄養を注入する準備を進めながら話しかけた。
 謙信君は脳に障害があり、言葉を発することができない。人工呼吸器もつけている。シングルマザーで次男(3)もいる松本さんは国家公務員。週2日出勤、3日は在宅勤務で両立を図る。
 出勤の日は、午前5時半に謙信君への最初の栄養注入。終わるや否や、身支度をして次男に朝食を食べさせ、保育園を経由して出勤する。謙信君は自宅に残し、午後5時に帰宅するまでは妹や訪問看護師、ヘルパーを頼る。帰宅後も家事と育児に追われ、午後9時に次男を寝かしつけながら就寝。午前0時に起きると夜明けまで、寝返りが打てない謙信君のために体位を交換し、おむつを取り換える。
 睡眠は3時間。「呼吸器を自分で外してしまうこともある。起きていないと心配で…」。長年の看護疲れが顔ににじむ。
 謙信君をカルガモの家に預けることができる月に9日間、松本さんは少しだけ心身を休め、甘えたい盛りの次男との時間を過ごす。「私たち親子にとってここはなくてはならない場所です」
 

 ▽代弁者

 田村さんがカルガモの家を設けるきっかけは、約10年前、NICUに1年以上、入院する子どもが右肩上がりに増え始めたことだった。
 各地の医師、看護師らを束ねて国の研究班をつくり、原因を探ると「子どもの訪問診療をしてくれる医者がいない」「呼吸器をつけた患者の対応はできないと訪問ヘルパーに断られる」など、NICUを出た途端、一気に支えを失って追い詰められていく家族の現実が見えてきた。
 「長期入院を解消するためにも、家族が休息できるような預かり施設をつくれないか」と埼玉医大の上層部に提案、2013年春の開所にこぎ着けた。並行して「子どもの在宅医療を支える人を育てよう」と医療者やソーシャルワーカーらに呼び掛け、ノウハウを学び合う研究会も発足。参加者は延べ2千人を超え、その輪は広がっている。
 昨年5月25日。国会で成立した改正児童福祉法では、初めて医療的ケア児に言及があり、自治体は支援に努めることが定められた。「制度のはざまで取り残されてきた患者や家族にとって一歩前進」と田村さんも感慨深げだった。
 医師として救った命がその先も尊重され、幸せな時間を過ごせるよう、田村さんは願う。だからこそ親子に寄り添い、代わりに声を上げ続ける。(共同=土井裕美子)

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